随筆「甦る楫取素彦」第193回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆「甦る楫取素彦」第193回

 都合により、随筆「甦る楫取素彦」を連載いたします。


◇裁判の成行きは極く大まかに言って次のようであった。

 廃業の自由はある。しかし、それには手続として、楼主の署名と印をもらって届けなければならないことになっていた。楼主は拒絶して印を押さない。そこで、訴訟は、楼主に署名と印を求める形をとった。裁判所は、娼妓営業の契約は民法90条により無効である。届出書に印を押さないことは、無効な契約を助けることになるから許されない、という趣旨を判示して原告・女郎の側を勝たせたのである。

 この判決は日本の人権史上に輝かしい一頁を開いたといえる。しかし、当時の社会はこれを正しく理解する迄に進歩していなかった。それを示すものとして、当時の新聞には、前借金を踏み倒してまで廃業しようとする行為は、義理人情という我が国固有の美俗美風を破壊するものと論評するものがあった。(名古屋の当時の扶桑新聞) 

 人権の思想はヨーロッパで芽生えて人類普遍のものとなったが、我が国はそこ迄至っていなかった。モルフィや、それを受け継いだ救世軍の人々の胸には、確固とした人権の信念があった。人権の信念は人間にとって本質的なものであり、フランス革命等人類の歴史を動かした原動力であるから、モルフィ等にとって百万の見方に当たる力であったろう。だから暴漢の攻撃など物の数ではなかったのである。

 扶桑新聞の論評は、義理人情を基盤とする醇風美俗が人権に優先する社会の現実を物語る。当時、明治憲法下でまだ、儒教倫理は根強かった。儒教倫理の下では極貧の家庭を救うために娼妓になることは親孝行なのであり、前借金をふみたおすことは窮乏を救ってくれた楼主に対して義理を欠く行為でもあった。これは、当時の警察が胸を張って楼主の味方をした背景でもあったろう。

 このモルフィを受け継ぐものが「救世軍」の運動である。前橋市には堅町の通りに救世軍の教会があり、私は資料を学ぶために時々立ち寄る。救世軍運動の果した役割も大きい。


5月6日からは「小説 楫取素彦」を新連載します。