随筆「甦る楫取素彦」第183回
4、当時の追懐 (湯浅治郎)
湯浅治郎は廃娼運動で重要な役割を果した中心人物である。この人が当時を振り返って語ることは渦中の当事者の証言として興味深い。「数十ヵ所の楼主や数百人のごろつき連中が県会に押寄せた。自分は藤屋旅館の二階に居た。彼らは私を取りかこみ種々な乱暴な挙動をもって威嚇した」、「私に迫る者共で、前から来る者は、頭を下げ歎願する態度に出るが、後ろの連中は、なぐれ、やっつけろ、殺せとおどす。そこで、お前たちは、前から頼むのが本当か、後ろから言っているのが本当かと尋ねた」、と当時の状況を語る。
そして、廃娼が実現した要素を2つ挙げた。「我等の主張がいかに正義人道にかなっても知事の如何によってはどうなったか分からない。幸にも楫取素彦氏だったから採用されることになった。また、女郎屋連中の乱暴がかえって廃娼を成就させた。彼らの乱暴がかえって同志を激励する結果となった」
また湯浅は、次のように述懐する
「何事も唱えるのは易しく、終わりまでやるのは難しい。われわれは唯その端を開いたに過ぎない。今日迄、幾多の波瀾、曲折があって、これに直接対戦奮闘した人々こそ、功が深い。だから今日の名誉を荷うべきだ」
廃娼運動が激化していた明治15年ごろといえば社会の進歩の程度、治安の状況など今日とは比較にならない。幕末の騒乱の余韻醒めず「難治」の県の状況はそのままに執拗に続いていた。だから政治家の身には危険がつきまとい、廃娼問題のように世論を二分する課題に対しては命がけで臨まなければならなかった。湯浅が、楫取でなかったら実現できなかったと語るところが胸に迫る。恐らく、楫取が廃娼の建議を受入れたことにも大きな困難がともなったに違いない。
☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。