人生意気に感ず「24時間が過ぎた。アウシュビッツの恐怖。女子大生の殺人」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「24時間が過ぎた。アウシュビッツの恐怖。女子大生の殺人」

◇参院本会議中、外相、官房長官が緊急対応のため議場を出た。「24時間」をめぐっていろいろな力が激しく動いている。後藤さんの命が風前のともしびとなっている。政府はありとあらゆる努力を注いでいると発言。日本が新たな、そして不可思議な戦に巻き込まれている。「イスラム国」の姿は中世の暗黒時代の再現に見える。21世紀の近代国家がタイムスリップして中世に引き込まれているようだ。

◇その暗黒の中から、後藤さんの新たなメッセージが届いた。要点はこうだ。「私は後藤健二だ。これが最後のメッセージになると言われている。私が生きるために残された時間は24時間しかない」

「イスラム国」、ヨルダン政府、日本、この間の緊迫した駆け引き交渉はどうなっているのか。見えないだけにもどかしい。この文を書いているのは29日の早朝3時、既に「24時間」は過ぎている。私たち日本国民は夜明けと共にあっというニュースに出会うのだろうか。

◇「1秒が数分に、ひと月が永遠に思えた」アウシュビッツの恐怖を語る元収容者の言葉である。

 1945年、ドイツは5月に日本は8月に降伏。70年が過ぎた。アウシュビッツ強制収容所の解放70年記念式典が開かれた。数百万人のユダヤ人が虐殺された絶滅収容所。「夜と霧」で描かれる光景は凄まじい。煙とつからぼうぼうと昇る死体を焼く煙、その下で、右・左と振り分けられていく人々。人間は本来残虐なのだ。一度狂えば何が起こるか分からない。アウシュビッツは歴史上の数々の残虐行為の一例に過ぎない。歴史は繰り返す。記念式典で、元収容者は、広がる過激主義への危機感を訴えた。ユダヤ人に対する偏見と憎しみが大量虐殺を生んだ。

 宗教の対立は誤解と偏見と憎しみを生む。イスラム教とキリスト教の対立から起きた十字軍の戦いは、今から見れば随分と無駄なことをしたと思う。「イスラム国」は今でも西欧のことを十字軍と見ているのか。日本が十字軍に参加したと非難している。

◇名大の女子学生の殺人動機は不可解だ。「高校時代、友人に毒を飲ませ失明させた」と語る。「人を殺してみたかった」、「誰でもよかった」、事件当日には「ついにやった」と表現。彼女の心に何が棲むのか。法は果たして裁くことが出来るのか。異常な少年事件が続く。(土読者に感謝)