随筆「甦る楫取素彦」第123回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆「甦る楫取素彦」第123回

生徒に教え諭す訓示という感がする。儒学の家を継ぎ藩校明倫館で教え松下村塾にも深く関わった楫取として、誇りと使命感を抱くと同時に大役を担うべき県会議員が頼りなく見えたのではないか。議員は選挙によって選ばれたとはいえ、制限選挙であり、選挙民は主権者ではなかった。一方県令は中央政府の任命によった。今日の知事及び議員とはよって立つ基盤が全く違う点も重要であった。
議場に出席する役人の態度も不遜、横柄、高飛車であった。県会の権限も県税に関する予算とその徴収方法の議決等に限られており、議員自らの発案権はなかった。しかし、「建議」は認められていた。この点は後に、廃娼の建議を取り上げることになる。建議とは、議会がその意思又は希望を県令に対して述べることであり、権利として行うものではないのだ。
右の中で、楫取が自らを「一日の長」ありと言っているが、この言葉には、松陰との関わりを初め彼の前半生への思いが込められているのだろう。
群馬県議会史には、「書記官の高圧的な言辞におさえられて県民の代表議会としての力がなく官僚主義の色彩がいたる所に現われている。県会諸費用の中で議場用のイス、テーブル掛けなどがぜいたくで県民の代表として心苦しいという意見が星野長太郎より出ているのが注目をひいた」とある。
星野長太郎とは、前記、松陰の短刀を持って渡米した新井領一郎の実兄で、この議会では副議長を務めていた。
星野長太郎と県側のやりとりは興味深い。これは、議長、議員等のテーブル掛け購入に関するものであった。