人生意気に感ず「満州の悲劇。松井かずさん。エボラ熱の恐怖」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「満州の悲劇。松井かずさん。エボラ熱の恐怖」

69年前の8月8日、ソ連参戦は満州の日本人開拓民を正に地獄の惨状に陥れた。守ってくれる筈の関東軍はほとんどなく無防備な人々は荒野を着の身着のままで、暴民の襲撃、飢え、ロシア兵の暴虐に怯えながらさまよった。私は「炎の山河」の中で前橋出身の松井かずさんの姿を通してこのことを書いた。

 混乱の中で多くの残留孤児が発生し、彼らは数奇な運命を辿った。国交回復後孤児を中心とした多くの人々が日本に移り住んだ。私は群馬県中国残留帰国者協会の顧問である。

 あの戦争が遠ざかる中で、貴重な体験は後世に残さねばならない。私の提案で、「体験集」を作ることになった。彼らは日中を結ぶ架け橋であり絆であることを考えると、体験集作成は、私がやっている日中友好協会の交流の一環でもある。

この際、今は亡き松井かずさんのことを聞いて欲しい。かずさんは前橋の製糸工場で働いていたが、昭和20年5月、勤労奉仕隊に参加して満州に渡った。3ヶ月後に日本が負けソ連が満州に侵入するなど知識にとぼしい彼女には思いもよらなかった。敗戦、全てを捨てて逃避行が始まる。深い川にかけた一本の丸太の上を命がけで渡る。ロシア兵に強姦されて発狂する若い女性、母親から離れて泣き叫ぶ幼児。女の下着の最後の一枚まで剥ぎ取る暴徒。女の死体で埋まる井戸。これ以上の地獄はなかった。かずさんは、撫順の炭鉱にたどり着き、中国人の男と結婚し5人の子どもを育てた。時は流れて、ある日、前橋市広瀬町のかずさんを訪ねると壁に一枚の写真がある。風雪を刻んだ逞しい顔だ。かずさんは言った。「主人です。日本に来て次の年に亡くなりました。自分の名も書けない人でしたが良い人でした。」

 撫順は遼寧省の都市である。中国は一大変革を遂げた。全てを呑んで歴史は流れるがその流れの底に悲劇の真実があることを知らねば、流れを正しく見ることは出来ない。

エボラ熱が猛威を振るっている。ギニアなど西アフリカの感染者は1848人で、死者は9日までに1,013人。欧州でもスペインで初めて死者が出た。国際交流が激しい時代だから日本とて油断出来ない。

 米国の未承認の新薬「ズィーマップ」が注目されている。サルでの実験は行われたが人間への安全性は未確認だ。現地では感染者が治療センターから勝手に帰ったり、感染の子を親が捨てるケースもあるという。何としたことか。(読者に感謝)