随筆「甦る楫取素彦」第111回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆「甦る楫取素彦」第111回


養蚕と生糸の問題に入る前に、群馬の政治的基盤を振り返ると、徳川幕府との関わりが深かった地域であることが改めて注目される。上州は幕領が多い地域だった。幕府直轄の天領や旗本領である。戦国大名を祖として、営々と地域の歴史と伝統を積み重ねて来た地域との違いである。これが、徳川崩壊によって新たな展開を見せた。不安と混乱の上に押さえがなくなり一揆が多発した。そこへ、江戸を脱走した幕兵が横行した。先が見えない不安の人々は一揆に参加したり、博奕に走る。かくして社会を支える基盤たる田畑が放置される。岩鼻知県事、大音の恐怖政治もこのような背景の下で生じたものである。

「上州の生糸」

「県都前橋いとのまち」上毛カルタのこの文句の背景には上州の長い生糸の歴史がある。埋もれようとしていた生糸の存在が、世界文化遺産として甦ろうとしている。しかし、この文化遺産を真によみがえらせるものは県民の生糸の歴史に対する理解である。

 楫取素彦は文化と伝統を重視する人であった。この人が生糸産業を重視したのは、単に経済の復興だけではない。古来の伝統産業に人々の精神文化が深く関わっていたことを重んじたからである。

養蚕は中国で始まった。絹は古代から中国の貴重品で、中国人は生産方法の秘密を厳しく守り少しでも他国に漏した者は死に処せられた。ハイテクの国家秘密であった。今日、日本のハイテク技術が容易に他国に流出することと対比される。政略結婚で辺境の異民族に嫁ぐ皇女が髪の中に繭を隠して持ち出した物語は有名だ。生糸はシルクロードを通って西欧にもたらされ、また東の果て日本にも伝わった。


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