随筆「甦る楫取素彦」第62回
勝麟太郎(海舟)を艦長とする咸臨丸は、使節警護の名目を掲げ、同時に航海術の腕試しを兼ね1月19日、ポーパタン号より3日早く浦賀を出発した。百馬力、3百トンの木造の小汽船だった。汽船とはいえ、石炭を燃やすのは港の出入りの時のみで航海中はもっぱら帆走だった。ポーパタン号と同様大暴風雨の中の航海で搭載のハシケ4艚のうち2艚が激浪にさらわれた。総勢90余名は命がけで奮闘し荒海を征して2月25日サンフランシスコに到着した。勝艦長を中心とする日本人の胸中には巨大な黒船で迫り開国を実現させたアメリカに意地を見せたいという思いがあったに違いない。アメリカ人も傷だらけの木造船を見て日本のサムライの勇気に驚いたことだろう。この咸臨丸には福沢諭吉とジョン万次郎が乗っていた。
サンフランシスコではチョンマゲの珍しさもあって両艦の日本人は大変な歓迎を受けた。咸臨丸は船の損傷をドックで修理したが、その費用をアメリカは一切受け取らなかった。それは日本人の勇気に対する敬意、そして修好通商条約の実現への祝意の現われと見るべきだろう。咸臨丸はポーパタン号に別れを告げ日本に向けて帰りの航海に旅立った。
ポーパタン号は、サンフランシスコから南下した。そして、一行はパナマ地峡を汽車で横断、大西洋岸に達した。そこには米艦ロヤノーク号が待ち受けていた。これに乗って北上し3月24日ワシントンに上陸した。翌日、使節団は礼装に威儀を正して、4頭立ての馬車を仕立て、沿道を埋め尽くした民衆の中を進んでホワイトハウスに入り、大統領ブカナンに謁見、将軍家茂の親書を渡した。
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