人生意気に感ず「アーネストサトウと、ハリスを読む。楫取と通じること」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「アーネストサトウと、ハリスを読む。楫取と通じること」

◇好天の下で三ヶ日が過ぎた。元旦、零時が近づくと地元小坂子神社の花火が鳴った。暗い中で長い行列が出来、境内の一画で勢いよく火が燃えている。闇に立つ炎は心の奥の野性を刺激する。今年は神社の雰囲気に日本再生の元気を感じ取りつつ手を合わせた。

 参拝者に若者が多い。手を合わせるからには何かを願っているのだろう。宗教心というより一年の計を自分に言い聞かせている姿に見えた。早朝8時に出て元総社地区の3つの自治会の新年会と桂萱地区、片貝神社の神事に参加。新年の恒例のパターンである。自治会では楫取の「大河」登場が話題になっており、私も挨拶の中で触れた。

◇連休と重なった年末と新年、挨拶廻りを極力抑え読書にあてた。岩波文庫の2冊、アーネストサトウの「一外交官の見た明治維新」とハリスの「日本滞在記」を熟読し得るところがあった。サトウは優れたイギリスの外交官で日本語の能力には驚くべきものがあった。戦火を交えた長州や薩摩の人々につき、「好きになった」と語っている点に私は打たれた。インドや中国を始め世界中で戦ってきたイギリス人である。戦った相手を好きになった例があったであろうか。日本人の国民性、武士道、背景にある文化の特性などが彼らの心を把えたものと思う。現代の日本人が、国際化の中で反省すべき点だと思った。もう一冊の「ハリス滞在記」からはハリスの個性ある人間性と行動力に感銘を受けた。敬虔な新教徒、妥協も許さぬ剛直な性格はしばしば苦しい立場に立って交渉に臨む幕府の役人を嘘つきと怒った。ハリスはペリーが結んだ日米和親条約を発展させ、世界で最初に日本と通商条約を結ぶことに強い使命感を抱いた。イギリスの武力外交をにくみ平和外交を信条とするハリスは日本を愛し日本のために条約締結を進めた。だから、条約にはアヘン禁輸の1項を入れさせた。ハリスの真心は幕府の役人の心を動かした。井伊大老を調印断行に踏み切らせたのもハリスの誠意だと私は信じる。

 ハリスの行動をみて、私はこれこそ、松陰が楫取に遺した「至誠」の実践だと思った。ハリスが執念の日米修好通商条約の締結の成功をしたのは、安政5年(1858)で、楫取素彦は30歳、この年安政の大獄が始まり翌年松陰は斬首される。血風の中を楫取は生き、やがて群馬に登場。(読者に感謝)

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