随筆「甦る楫取素彦」第38回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆「甦る楫取素彦」第38回



◇天保13年(1842)、楫取14歳。

中国はアヘン戦争に敗れ、この年、中英間に南京条約が締結される。幕府は外国の力を恐れ異国船打払令をやめ薪水給与令を出した。アヘン戦争に衝撃を受けた佐久間象山は「海防八策」を著して老中に出した。

 世界の動きは地方にも伝わり出す。この年の群馬の動きとして、前橋藩主松平斉典は観音先御台場を拠点に相模の沿岸警固を命じられている。世界の動きがこのように群馬にも波及していたことが分かる。情報の共有がない時代だから、一般の庶民には分からなかったであろう。この点、西国の長州は違う。中国の情報が敏感に伝わる地である。少年楫取にも激しい世界の情勢が伝わっていたに違いない。

 厳しい社会情勢、そして、国難の中で全ての藩は人づくりこそ道を開く切り札と考えていた。各藩が他の助けを受けず自己責任で藩政を運営しなければならない当時にあって教育の重要性は今日の比ではない。

※土・日・祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。