随筆「甦る楫取素彦」第36回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆「甦る楫取素彦」第36回

 貨幣を大量に出して物価を騰貴させたことにつき、当時の記録には、「黄金はなはだ重く天下軽し」、「小民怨嗟(えんさ)の声貴人に達せず」とある。これは、庶民の窮状が上に届かないことを示すもの。この事態が「内憂」とすれば、「外患」も深刻の度を増していた。外国船が頻繁に近海に現われ、アヘン戦争ではイギリスが勝利し、次は日本かと識者は驚愕した。

 徳富蘇峰は「近海の黒船は天魔の如く我が四境をうかがえり」と記述した。また、幕府が出した「異国船打払い令」を、「あたかも押し寄せる潮に向って退却令を下すのと異ならず」と批判した。

〔注〕水野忠邦は浜松藩主。老中首座となり、将軍徳川家慶の厚い信任を得て天保の改革を断行した。空前ともいえる改革は幕府内でも反対が多く結局罷免され、更に在職中の政治責任を厳しく問われ、領地と屋敷を没収され、隠居、謹慎を命じられた。失意のうちに58歳で没した。

  大変な明敏さにつき有名な逸話がある。水戸藩主徳川斉昭の命を受けた藤田東湖が屋敷に赴いて十三ヵ条の伺いを1度に述べるとその順序通りに誤りなく指示を与え、斉昭、東湖が感服したというもの。

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