随筆「甦る楫取素彦」第35回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆「甦る楫取素彦」第35回

長州では前記のように村田清風が長州版天保の改革に取り組んで成果をあげたが、幕府の改革は大変なことだった。


「幕府の天保の改革」



 大塩の乱の4年後、老中となった水野忠邦は直ちに幕政の改革に着手した。彼の施策方針は商業資本の抑圧と自然経済への復帰が中心だった。厳しい倹約令が発せられ、高価な菓子、料理、人形、衣服などは禁止された。役者は庶民より低い階級のものとして町を歩くときは編笠をかぶせられ、人情本の作者為永春水は風紀を乱す者として手鎖50日の刑に処せられた。「世の中、眉に火のつけるが如く、俄に事あらたまりて、士農工商おしからめておののくばかりなり」と評された。忠邦の腹心として働いた町奉行鳥居燿蔵(ようぞう)は江戸市民の怨のまととなり妖怪と称された。農村復興のための人返しの法が行われ、江戸への商品流通を円滑にするため株仲間の解散が行われた。しかし、急激な改革は商人・庶民・大名・旗本から反対を受けまた、財政難を救うために貨幣を増やしたことは、物価高を招き、領地を没収する上知令(じょうちれい)は大名や旗本の激しい反対を受けた。結局水野の改革は2年余で終わる。

※土・日・祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。