随筆「甦る楫取素彦」第32回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆「甦る楫取素彦」第32回

随筆「甦る楫取素彦」第32回

 徳富蘇峰は、清風につき興味ある指摘をしている。「村田清風の長州におけるは、島津斉淋(なりあきら)の薩摩におけるがごとし」というのである。斉淋は江戸時代を通じて随一の名君といわれ、先進的な改革を次々に断行し、下級武士西郷を抜擢し手足の如く使った。

 蘇峰は更に、元禄時代に出来た「人国記」から引いて、長州の人情は昔からのんびりしていて、人に応ずるにも一思案して答え、互いに人頼みして遠慮が過ぎる。このような風土からどうして殉難殉国の烈士、松陰の如き人物が出たか。それには先進がいた、その人こそ村田清風だというのである。

◇天保10年(1839)、楫取11歳。この年、高杉晋作生れる。また渡辺崋山、高野長英が捕えられる蛮社の獄が起きた。蛮社の獄とは、高野長英、渡辺華山らが、モリソン号砲撃を批判し開国を説いたことで、幕府が彼らを処罰した事件である。また、水戸藩主、徳川斉昭は、前記のように、内憂外患につき十二代将軍家慶に意見書を提出した。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。