随筆 『甦る楫取素彦』 第31回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆 『甦る楫取素彦』 第31回

 ◇天保9年(1383)、楫取10歳の時、長州藩は村田清風を登用し藩政の改革を始める。長州も、ばく大な借金を背負い藩政は危機に瀕していた。清風は、下級武士が藩政に参加する道を開き、経費節減と負債の事実上の帳消しによって藩の借財を整理し、租税軽減によって農民の不満をしずめ、下関に越荷方(こしにかた―一種の税関)をおいて諸国の廻船から収益をあげ、また洋学の奨励・洋式兵術採用などの革新的政策をとって成果を上げた。私は、革新的下級武士進出の道を開いた点が重要だと思う。この道の先に、楫取、松陰、高杉、木戸、伊藤など若者の生き生きした姿を想像するからである。

 村田清風は天保の改革を前に、藩主に基本方針を出したが、その中で、「選挙の事」として、平時なら別であるが、現在は非常の時であり、人材を抜擢して登用すべきであると提案した。もとより今日の選挙ではない。下級武士の登用や抜擢は、硬直した身分制度を崩すヒントを人々に与えたに違いない。高杉晋作の奇兵隊の創説もこの流れと無関係ではない。今日の言葉で現せば思い切った規制緩和であり行政改革であったと考えられる。


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