随筆『甦る楫取素彦』第28回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆『甦る楫取素彦』第28回

◇天保4年(1833)、楫取素彦は5歳となる、この年あたりから天保の大飢饉が始まった。江戸時代の三大飢饉は享保の大飢饉、天明の大飢饉、天保の大飢饉である。

 天保の大飢饉(天保4年~10年)では、天候不順・冷害などで全国的凶作となり天保7年の作柄は3分作、犬猫から垣根の縄まで食いつくす状態であった。なぜここまで酷くなったか。それは小規模な農業のため生活がたちまち破滅したこと、そして、領地ごとに孤立する経済のため広域な救済策をとれなかったからだ。鎖国で世界から孤立し、その中で更に国内的には藩や領地で経済が孤立したのだから追い詰められた農民の生きる道は一揆や打ち壊しや間引きしかなかった。「農民は生かさぬように殺さぬように」と言うのが江戸時代の農民対策の基本だったが、江戸後期、農民は生きられないぎりぎりの状態に追い込まれていく。飢饉の中では、「人、合(あ)い食(は)む」という正に地獄の所もあった。苦しさは町人も同様であったが、農民の重圧は特別であった。このような幕府体制の行き詰まりのところへ、やがて外からの黒い影が近づく。日本が国を閉ざしている間に世界ではとんでもない変化が起きていた。黒い影はその変化の波及する姿であった。楫取素彦は、正にこのような時に幼少期を生きた。そして、彼の学問、思想、人間性は、このような時代状況で形成されていく。

※土日祝日は中村紀雄著『甦る楫取素彦』を連載しています。