人生意気に感ず「女子大で楫取を。福田家のお別れ会。もんたと三太」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「女子大で楫取を。福田家のお別れ会。もんたと三太」

◇県立女子大のシンポジウムで楫取素彦について基調講演をした(26日)。台風26号と27号の影響が懸念されたが無事に行われた。風雲急を告げる幕末の話にはふさわしい雰囲気ともいえた。

 名県令楫取を知るにはルーツである前半生を知らなければならない。そこで先ず幕末の吉田松陰との関係を語り、次いで群馬での業績に及んだ。松陰と楫取の共通点は学者であり志士、そして学の実践者。松陰は斬首されたが楫取も投獄され妻に遺書を書いた。

 その実践を継続させた姿が県令楫取である。私は「行動する教育者」として業績を語った。楫取は教育、産業、人権等につき重要な「種」をまいた。中でも人権の問題と位置付けられる「廃娼」で示した決断は重要。楫取がまいた種をその後生かせなかったことを反省しなければならない。楫取の種は生きている。今こそ、これを甦らせる時。こういう思いで語った。

◇その前日(25日)、福田家の「お別れ会」に出た。101歳で亡くなった三枝さんと別れを偲ぶ人で会場はあふれ、私は最後列で立っては話を聴いた。元総理赳夫さんの妻として夫を支えた母を元総理康夫さんは懐かしそうに語った。選挙をやる運命を、父と結婚したことが「運の尽き」だったとユーモアで振り返った。

 康夫氏は9月17日の虎の門文化センターの文化事業に私の頼みを聞いて出席してくれたが、三枝さんが亡くなった大変な時だった。後で知って大変恐縮した。遺影に手を合せながら肝っ玉母さんが福田家を支えていると改めて思った。

◇朝早い私は時々文を書きながら「みのもんた」を見た。「女子アナの尻を触った」から始まって息子の窃盗事件が起きた。週刊誌などは、それっとばかりにかみついた。記者会見で「馬鹿息子、責任は父である私に」と語る姿はあわれだった。

◇痴漢被害の女子高生と三重県警の女性が連携で男を逮捕。満員電車で男の下半身をいつも触らされた。「髪を耳にかき上げる」と合図を打ち合わせその通りに運んだ。女子高生の勇気と現代社会に於ける女子警官の役割に注目した。

◇三太が成長し外に出る時が来た。書斎の前の柿の木の下。一定のスペースを走りまわっている。窓の下にいたナナの息づかいを思い出す。代わって若いクンクンが。もんたが退場し三太登場。友情をはぐくもう。(読者に感謝)