『炎の山河』 第5章 地獄の満州 第5回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

『炎の山河』 第5章 地獄の満州 第5回

① 敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ


松井かずたち勤労奉仕隊の者は、前橋郷の一画にある奉国農場に案内された。大きな土塀に囲まれた広い土地に粗末な家が散在している。何もないところであった。トイレもなかった。用を足すのは、外の野っ原の適当な所でという具合だった。いかに異常な戦時とはいえ、それは若い女性に耐えられることではない。そこで、掘立小屋をつくり、穴を掘ってトイレにした。

この奉国農場には、既に先着の十数名がおり、これに松井かず等21名が加わって、共同作業、共同生活をすることになった。昭和20年6月上旬のことであった。周りの平原は、視野の限り一本の木もなくどこまでも続いている。ところが、夜、暗闇に目を凝らすと、遥かかなたの高い所にかすかな光が見える。初めは星かと思ったが、そうではない。星は、そのまた上の空に小さく光っている。「あれは、山の人家の火なの。あの山の向こうは、ソ連なの」

先輩の勤労奉仕隊員が言った。

松井かずは、ここで初めてソ連を身近に感じた。ついに、こんな所まで来てしまったのだと思った。この時、彼女の頭に、前橋の製糸工場にいたとき、青年学校の先生がよく言っていたことが浮かんだ。

「ソ連は恐ろしい国で、この戦争、どちらが勝つか、大蛇の目でじっと見ている。そして、勝つ方について、負ける方を呑んでしまう」

 その恐ろしいソ連にこんなに近い所まで来てしまったと、彼女は、この教師の言葉を思い出して身震いした。そして、遥か彼方の山の光が、開拓民の様子をじっと伺う大蛇の目に思えてならなかった。松井かずの恐れる大蛇は、意外に早く現実の姿となって現れることになる。

 落ち着く間もなく、農作業に取りかかった。作物は、主に、トウモロコシ、大豆、ジャガイモ、小麦、コォリャンなどであった。日本の畑と比べて桁違いに大きな畑であるから、さくも長い。鍬でさくを切ってゆき、途中で汗を拭きながら、背の低い柳の下へもぐり込んで休む、そしてまた、鍬をふるう。一本のさくを切って向うまでゆき、また、さくを切って戻ってくるとお昼になる。

※土日祝日は中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。