『楫取素彦読本』 第42回
遊郭の存在は人々の勤労精神を蝕み、子どもたちの教育環境を破壊しました。遊郭のあるところ市が立たず、子どもは廓ごっこをすると言われました。従って教育と産業の発展を目指す楫取素彦にとって、遊廓は許せない存在だったのです。
今日の社会では、日本国憲法に人間の尊重が高く掲げられ、人間の尊厳を傷つけるような女性の扱いは許されないことですが、明治の初期には、古くからの悪い習慣が続いており、人々はそれを当然のように思っていました。
【解 説】
○湯浅治郎は安中の人で、アメリカから帰国した新島襄の導きでキリスト教徒になりました。県会議員となり第二代の県会議長となりました。新知識に対する意欲は強く福沢諭吉の著書を全部読破したといわれます。
知識を市民に広めるために、民間で初めての図書館といわれる便覧舎を安中に創設したのも湯浅です。彼を支えたのもは、人間平等の思想と信念でした。
○明治十五年(一八八二)県会では廃娼をめぐり激しい議論がたたかわされました。この時、楫取素彦五十四歳でした。