『楫取素彦読本』 第39回
明治政府は、様々の理由から、官営の富岡製糸場を民間に払い下げることを決定しました。しかし、富岡製糸場は規模が大きすぎるため払い下げに応じる者がなく、遂に政府は閉場の方針を決定しました。
この事態に楫取は意を決して動きました。農商務省(長官は、西郷隆盛の弟・西郷従道)に対して、富岡製糸場を当分の間、官営で存続させることを強く訴えたのです。政府は「当分の間、従来の通り施行すべし」という方針をとることにしました。
【解 説】
長野県出身で富岡製糸場の一等工女として活躍。「富岡日記」を残しました。松代藩士の父から国のために尽くすべきこと、そして、国の名、家の名を汚さぬようにと言われ、それを必死で守り頑張りました。
明治女性の気概がその表情に現れています。
和田英と同じ長野県出身で努力して一等工女となりました。
両親にあてた二十数通の手紙は、当時を知る貴重な資料です。
和田英にしろ、春日蝶にしろ、若い女性が日本の近代化のために心血を注いで頑張ったのです。
○初期群馬の働く女性たちの姿は、今日の働く女性、かかあ天下の原点といえるかも知れません。