人生意気に感ず「長春の偽皇宮。満州国の末路。天城山心中」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「長春の偽皇宮。満州国の末路。天城山心中」

◇瀋陽総領事の田尻和宏氏が「9.18と重なる」といって懸念したのは、1931年9月18日の柳条湖事件、つまり関東軍の謀略による南満州鉄道爆破事件である。これが発端となり満州事変が起こり、1932年満州国が建国される。中国人は偽満(にせまん)と呼ぶ。

 9月8日、私たちは吉林省の長春の至り、「偽皇官」を視察した。長春は、かつての満州国の帝都・新京で皇宮は皇帝溥儀が暮らした宮殿である。一歩はいると「勿忘、九・一八」(九・一八を忘れるな)と刻まれた大きな石が置かれている。署名は江沢民である。

 満州国の事は、「ふるさと塾」で何度も取り上げたことがある。しかし、宮廷内に入り、溥儀、婉容などの写真や遺物などに接し改めて歴史の重さと壮大な悲劇のドラマを肌で感じた。江沢民が「勿忘九・一八」と石に大署している事実は、中国政府が、この宮廷及び「満州国建国」を日本の侵略の象徴として如何に重視しているかを示すものだ。

 宮廷内には婉容と溥儀の写真が多く展示されていた。婉容は満州族の娘で17歳の時溥儀と結婚した。瞳が大きく貴品に満ちたはっとするような美人である。ある部屋に、横たわってアヘンを吸う婉容の人形があった。一説によれば溥儀には男性の能力がなかった。婉容は侍従との不倫におちアヘン中毒になった。日本が敗戦し、満州国が滅びた後、満州の荒野を逃げる婉容は糞尿もたれ流しでその狂った姿は衆人の好奇の目に晒されたという。

 宮廷内には皇帝を事実上操った吉岡安直の執務室があった。また廊下には訪れた著名人の写真が並び、その中にはかつての中曽根康弘氏や最近失脚したのものもあった。(その妻・谷開来は英国人殺害の罪で執行猶予付死刑判決を受けた)

◇私はバスの中で、溥傑と嵯峨浩の結婚、二人の子慧生が天城山で心中した出来事を話した。皇帝溥儀には子がなかった。日本人の血を帝室に入れたい日本は皇帝の弟溥傑と嵯峨侯爵の娘浩を結婚させた。その間に生れた慧生は学習院大学に進み同級生大久保武道と恋愛したが天城山で心中した。死後慧生から寄せられた多くの恋文が発見される。武道がいた学生寮の寮監穂住吾一は二人を哀れんで、「我れ後見を愛す」として出版。この学生寮は私がいた本郷3丁目の東大の近くにあった。正に「天国に結ぶ恋」であった。(読者に感謝)


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