人生意気に感ず「楫取法要。今日は萩市へ。尖閣調査。世界遺産登録」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「楫取法要。今日は萩市へ。尖閣調査。世界遺産登録」

◇昨日県庁舎南の清光寺を訪ねると入口の掲示板に「至誠にして動かざるは未だこれあらざるなり。吉田松陰」とある。松陰が刑場に引かれる直前に楫取素彦に与えた言葉である。18日、この寺で行われる顕彰会主催の楫取素彦百回忌法要の打ち合わせを行った。当日は、楫取能彦氏(五代目当主)、小田村四郎氏(楫取のひ孫)等、楫取家の人々、及び、県、市の来賓等が参加の予定。同寺は楫取の妻で松陰の妹・寿子の尽力で建てられた浄土真宗の寺である。

◇実は、今日県外調査で山口県萩市に行く。5時目を醒ますと夜来の豪雨は止み虫の音がしきり。萩市の調査目的の主なものは楫取素彦である。

 今年は没後百年で、前橋、萩両市で記念行事がある。混乱と国難の中で歴史的原点を見詰めるべきだという雰囲気が高まっている。教育を担当する委員会として、初代県令を正しく深く認識するには出身地での足跡を知る必要がある。

 長州時代に楫取が教師を務めた明倫館を継ぐ明倫小学校も訪ねる。萩博物館では今月22日から楫取素彦特別展を開くが、その主な資料も調査する。

 楫取の生涯で一番輝いたのは群馬の県令時代である。そこで、群馬に於ける業績を萩に伝え萩市にある資料も得たい。連携を深めることによって楫取像もより確固となる。今回の調査をその第一歩として意義あるものにしたい。

◇県外調査後、一日おいて中国へ行く。瀋陽の総領事館では尖閣に関する反日感情も話題にする。

 2日、都は尖閣諸島の魚釣島などを調査した。中国が不可解な主張をしている。日本海の波高し。歴史的にも国際法上も日本固有の領土である。各政党、各メディアも一致している。島には石垣や船着場の跡が残り、日本人が生活していた跡が明瞭である。

 1940年(昭和15年)頃まで約250人の日本人が暮らしていた。1970年代島の海底に石油があることが分かってから中国は領有権を主張。強かな中国に対し強かに対応せねば。

◇知事と政策につき懇談(31日)。富岡製糸場の世界遺産登録には普遍的な価値が外国人の目で認められることが必要だが心配だと発言。産業遺産が世界遺産として認められることは非常に少ない。それを考えると、普遍的価値の説得力が少ないと思う。一層の研究が必要と発言。知事も同意。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「楫取素彦読本」を連載しています。