人生意気に感ず「終戦記念日のマンネリ。玉音放送。再び五輪を」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「終戦記念日のマンネリ。玉音放送。再び五輪を」

◇明日(15日)は67回目の終戦記念日。戦争を知らない人々が大半を占め、あの戦争が日本人の体感から離れ歴史的事実に没し去ろうとしている。記念日施行の目的は、慰霊と同時に日本民族のあの歴史的悲劇から教訓を引き出すことだ。教訓を活かさねば慰霊にならない。「活かす」ためには後世に戦争の生生しさを伝えねばならない。

 毎年のアリーナの慰霊祭に出て思うことは、まんねり化し、参加者が少なくなっていること。多くの若者たちを参加させよと私は提言しているが行政は変化を嫌って実行しない。今年も同じことの繰り返しだろう。

◇67年前の今頃、ポツダム宣言受諾の可否をめぐって政府中枢では激論が交わされていた。既に、無条件降伏を告げるポツダム宣言が7月26日に発せられていた。8月6日広島に原爆投下、8月9日ソ連軍が満州に侵攻、そして同日、長崎にも原爆が投下された。

 最終的にポツダム宣言受諾が決まったのは8月14日午前10時45分に開始された御前会議に於いてであった。この会議を巧みにしきってポツダム宣言受諾に導いた人が鈴木貫太郎首相だった。議論を尽くしても結論が出ない状況で、天皇の判断によって決しようと提案し、異議をはさむ余裕を与えず会議を進めたのだ。

 天皇は、戦争終結の決意をはっきり述べた。そして自分はどのようになろうとも万民の生命を助けたい。そのため自分は何でもする。国民に呼びかけるためにマイクの前に立つと決意を述べた。かくして事は決せられ、15日正午の「玉音放送」となった。

 明治憲法の下でも天皇が自ら政治的判断を下すことはなかった。そういう意味では超法規的で異例な出来事であった。結果として本土決戦を避ける事が出来た。このような結論を導いた鈴木貫太郎は日本を救った総理大臣と言われる。

◇オリンピックが終わった。38個のメダル数が日本の実力を雄弁に語る。自信を失った日本人に、日本も捨てたものではない、頑張れば道は開けるということを示し、勇気と自信を与えた五輪だった。女性の活躍が素晴しかった。なかでもなでしこは偉かった。ワールドカップで優勝し、これで終わりかと思ったらおごることなく五輪で銀。今回の五輪の成果を日本人共有の宝として五輪以外に広げたい。学校では先ず五輪の歴史を教えるべきだ。(読者に感謝)


☆土・日・祝日は、「楫取素彦読本」を連載しています。