人生意気に感ず「熱き墓に。楫取の除幕式。五輪終了。御巣鷹の怨み」
◇亀泉の霊園の小さなキリスト墓地は32年前のあの時のように炎天の下、夏草の中に静かに横たわっていた。墓石には8月14日命日とある。40歳に手が届いたばかりだった。かつての人生の同志に手を合わせ近況を語りかけた。墓の主の兄はかつて、「限りなく熱き墓なり妹よ」と詠んだ。
◇楫取素彦の命日、明日8月14日に「楫取素彦の足跡」を記した顕彰説明板の除幕式が行われる。ステンレスの板面に近代群馬の基礎を築いた業績が記される。日本で最初の女性解放の意味をもつ廃娼運動の記述は、隣接の楫取素彦功徳碑にはない。高浜公園はこの日に合わせ整備され見違える程きれいになった。功徳碑も顕彰会の人々の手によって水で洗われた。炎天下、120年振りの入浴に楫取もさぞ喜んでいるだろう。建立は明治25年(一八九二)だった。除幕は午前10時。一般の人も歓迎である。楫取の顕彰を一過性にしないことを顕彰会は決意している。
◇オリンピックが閉幕した。引き込まれて感動と興奮を味わった。白地に太陽、日の丸は素晴しい旗だ。遠い異国で目にする日の丸は選手にとって格別のものだろう。7、14、17。これは金、銀、銅の数。計38個はアテネを抜いて日本史上最多。メダルの一つ一つに物語がある。限界に挑戦して更に一歩を踏み出す力は精神力である。団体競技ではそれが特に顕著で、一プラス一は二以上となる。
日本人を鼓舞させた背景には東日本大震災があったと思う。多くの命が失われる中、人々は助け合った。力を合わせて困難に立ち向かうことの尊さを、大震災は日本人の心に焼き付けた。これが日本人のオリンピックを支えたと私は信じたい。メダルを獲れなかった選手も最大限の努力をした。あるメダリストの言葉にグッと来た。「負けたことが力をつけた」というもの。負けた選手たちよ、この言葉を信じて再起して欲しい。ブラジルに向けた戦いはもう始まっている。 ◇「尺八の夕べ」と題した民謡のコンサートがあった(12日)。挨拶の番を待っている時、朗朗と澄んだ尺八の音が流れた。九ちゃんの「上を向いて歩こう」だった。坂本九は日航機事故の犠牲者である。
520人の死者を出したジャンボ機墜落からもう27年がたった。12日、上野村の御巣鷹の尾根で慰霊祭が行なわれた。巨大事故は必ず起きることを教えている。上野村村長は、ここは、航空機事故を戒める霊地。事故を未然に防ぐ発信基地にしていくと決意を述べた。(読者に感謝)
☆土・日・祝日は、「楫取素彦読本」を連載しています。