人生意気に感ず「1年を振り返る。事故調査報告の語るもの」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「1年を振り返る。事故調査報告の語るもの」

◇人生には忘れられない年がある。それは忘れられない出来事が起きたからである。長い人生の中で、今年はすくなくともそういう年の一つである。いうまでもなく3月の東日本大震災だ。これに県議選も重なって、私としては一層忘れられない年となった。

 3月11日、午後2時46分、私はこの時刻を選挙事務所として使う予定の小坂子町公民間で迎えた。不気味な轟音と揺れは長く続いた。これがその後の異常事態を告げるシグナルであった。

 やがて原発事故が伝えられる。初めは大した事はないと思っていた。原発は大丈夫という安全神話が支配していたのだ。事故のレベルはチェルノブイリと同等と報じられても信じ難かった。国民の間では放射線に敏感に反応した人と関心が薄い人に分かれた。

 その後、原発事故人災説が広がり、政府や東電に対する不信と共に混乱は深刻化した。

◇26日の事故調査委員会の報告は、やはり、と人災説を裏づけるものだった。今後の最大の課題は調査が明らかにした事を如何に生かすかである。民間の受け止めが重要だ。その意味でこのブログでも書き止めておきたい。

 調査・検証委の委員長は「失敗学」で知られる畑村東大名誉教授。6月の調査委発足時、畑村氏は百年後の評価に耐えられる報告をつくると表明し、延べ456人から計900時間の聞き取り調査を行った。

 結論的な事は、政府や東電が過酷事故を想定せず、従って対策が甘く、また、事故の対応も非常に不手際だったというもの。信じ難いような事が指摘されているのだ。現場の事実誤認や原子炉冷却装置の操作に運転員が習熟していなかったなどを挙げ、原子力事業者として「極めて不適切」と指摘。また、異常に巨大な天災地変だからという主張には、特異な事態という弁明では済まないと厳しく批判した。

◇各地で避難訓練や防災訓練が行われていた。日頃の訓練の成果によって多くの児童を救った釜谷の奇跡がある。報告書から思うことは、極く基本的な日頃の訓練で事故の拡大を抑制出来たということだ。そうすれば、非常用復水器が機能していないことに運転員が気付かなかったとか、原子炉を冷やす操作に慣れていなかったという事は避けられた筈。一番直接の現場にまで安全神話が浸透していた。技術立国日本の信用を取り戻すための教訓を引き出さねばならない。(読者に感謝)