人生意気に感ず「楫取素彦を萩市と群馬で。映画死刑囚の手記」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「楫取素彦を萩市と群馬で。映画死刑囚の手記」

◇山口県萩博物館学芸員道迫(どうさこ)氏は、2日、一般質問終了に合わせて県議会を訪ね私と会った。群馬歴史博物館学芸員の手島氏も一緒である。私たちは南波議長に初代県令楫取素彦を没後百年に合わせて県としてきちんと顕彰すべき事を提案した。議長も大賛成であった。

 来年は楫取没後百年に当り誕生の地山口県萩市で記念行事が行われる。道迫氏は展示資料を求めて来県した。多くの資料は県庁舎から直線距離で百米余の浄土真宗清光寺にある。

 実は楫取の生誕地を更に絞ると萩市今魚店町である。今魚店町(いまうおのたなちょう)は、その昔毛利の殿様が魚を扱わせるために設けた町だと言われる。町を映した写真には町並みの彼方に日本海に浮かぶ小島が見える。

 この小さな町内で、今、楫取を顕彰する動きが盛り上がり、今年は、まち角に顕彰説明板が立てられ、その中で、群馬に於ける楫取の活躍を述べた私の一文が紹介されている。町内顕彰運動の中心者中原正男氏と私は連絡を重ね絆を深め、今月20日、私は町内で楫取素彦につき講演することになった。私は本県を代表した心意気で、人づくりと近代産業で群馬の原点を築いた楫取を語るつもりだ。

 議長訪問に次いで私たちは清光寺を訪れた。この寺のスタートは、楫取の妻で吉田松陰の妹である寿子が本願寺門主に頼んで開いた県内初の浄土真宗の説教所である。それだけに寿子に関する資料が多い。寿子の 墓は東京の青山墓地にあるが、その長文の墓誌は楫取が書いたもので胸を打つ。清光寺の一室の壁には、その拓本がかけられている。本物は長い年月の風雨に晒され一部不鮮明であるといわれるが、拓本は墨痕鮮やかである。

 43歳で世を去った寿子の生き様は鮮烈で兄松陰をほうふつさせる。幕末、長州の政争に巻き込まれ入牢した楫取を寿子は毎夜更け、獄舎を訪れ獄吏に頼んで食物等を届けたという。

◇私はレジスタンスもの映画が好きだ。娘に勧められ「抵抗(レジスタンス)・死刑囚の手記」を見た(4日)。第二次大戦のドイツ占領下のフランス。死刑を待つレジスタンスの将校、独房の外では銃殺の音が続く。スプーンでのみを作り、ベッドの針金とシーツの布でひもをつくる。空中のひもを伝うシーン。手に汗を握り白黒の100分はあっという間に。私も死刑を宣告されたら命がけの脱走を考えるだろう。脱獄映画の芸術作品である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」連載しています。