人生意気に感ず「成都・西安の対日感情。災害が日中友好に果たした役割」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「成都・西安の対日感情。災害が日中友好に果たした役割」

◇中国視察に関して、これ迄、この欄で書いてきたが書きたい事は尽きない。四川省成都の主な調査目的は四川大地震であったが、ここと陝西省西安についての共通の関心事として対日感情の問題があった。成都と西安では、昨年10月16日大規模な反日デモがあった。それは、尖閣諸島沖の中国船衝突事件に関するものだ。日本では船長釈放に対して政府の弱腰外交が激しく批判されたが、中国では船長逮捕に対する抗議の嵐が吹いた。その時の内陸部成都、西安の学生の動きが特に報道された。

 成都では2千人の学生が集まりイトーヨーカ堂などを囲み「日本製品を買うな」、「釣魚島を守れ」などと叫んだ、また、西安では、7千人の学生が「釣魚島は中国の領土だ」と叫び日本の国旗を燃やす動きもあった。

 しかし、今回の訪中で両市の対日感情は非常に良いと感じられた。両市で一年前に激しい反日デモがあったとは信じ難い雰囲気だった。私は、両市で早朝、まちを走り、走りながらコンビニで買い物もしたが、私を日本人と知ったらしい中国人からは、険悪な視線は感じなかった。

 それは集団で商店街を歩いた時も同じであった。又、西安外事学院は、講堂の壁面に熱烈歓迎群馬県議員団の赤い文字を表示して私達を迎えたし、この大学で教える友人角田さんの話では日本の大震災後、学園内で、いち早く日本へ義援金を送る運動が始まったとの事だ。

◇東日本大震災が中国人の感情に好影響を与えた事が考えられる。ここで、四川省人民政府外事弁公室の黄功元氏が語った事が思い出される。黄氏は、日本人が大災害に際し秩序を守り冷静だったことに感動したこと、またまっ先に救援に駆け付けてくれたと振り返っていた。約3年の間に計らずも両国で起きた巨大地震は、それぞれの国民性を顕在化させそれをある程度接近させる役割を果たした。

 西安人民政府との会見の状況も同様だった。西安日報が熱烈歓迎の様子を報じたのは事実の通りだった。私が、日本は大変な災害に見舞われたが必ず復興を果たしますと語ると、幹部たちはしきりに頷いて拍手したのである。会見の後は合同で写真をとり、テーブルを囲んで食事を共にしながら会話を楽しんだ。私が有意義な心の交流が出来たと実感したのは遣唐使以来の交流の歴史を語った時だ。西安市副市長の張会彬氏は私の発言に応えて、群馬県と西安市 はたくさん協力する領域がありますと嬉しそうに話していた。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています