人生意気に感ず「玉音放送は反核平和宣言。3つの墓を詣ず」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「玉音放送は反核平和宣言。3つの墓を詣ず」

◇また8月15日がやってきた。天皇のポツダム宣言受諾声明、いわゆる玉音放送によって太平洋戦争が実質的に終結した日である。正式な戦争終結は、戦艦ミズーリ号上で降伏文書調印式が行われた9月2日であるが、国民に与えた戦争終結の決定的な衝撃度は玉音放送に及ぶべくもない。

 当時の国民にとって、天皇の声は神の声であった。当時の多くの証言が、意味はよく分からないが、天皇自ら戦争の終結を述べていることを知ったと語っている。玉音放送の基礎をなした終戦の詔書を読むと原爆に関する次の点が注目される。「敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、その惨害は測り知れない。これ以上戦争を続ければ民族を滅亡させ、人類の文明を滅ぼす。だから耐え難きを耐えて万世のために太平を開きたい(趣旨)」これは、原爆投下直後に出された人類初の反核平和宣言である。その後に、市民団体から原爆反対の平和宣言が繰り返し出されるが玉音放送こそ最初の反核平和宣言だった。しかも、日本民族が滅亡の渕に追い詰められたぎりぎりの所で出された悲痛な叫びだったと受けとれる。

◇お盆の間、3つの墓を詣でた。亀泉霊園の十字を刻んだ墓にはかつての人生の同志が静かに眠る。この人の兄がかつて、「限りなく熱き墓なり妹よ」と詠んだ。30年が過ぎていた。「相変わらず頑張っているわね」という声が聞こえるようであった。

 嶺霊園には2つの墓が並んでいた。福島浩君は、私の旧宮城村小学校の同級生。県議選出馬で最初に相談した男。彼の存在がなかったら、私の県議当選はなかった。傍らの黒い石には、「お蔭様」の積み重ねで私の人生があった、人間は何て素晴しいのだ、という彼の別れの言葉が刻まれている。亡き妻とは私より前からの知り合いで、結婚を勧めてくれた。彼のお蔭様を振り返り感謝して手を合わせた。

 福島の墓と並ぶのは前知事小寺さんの墓。2人は親しい間柄で死後隣りづき合いをと小寺さんは生前、福島浩の死の直後から用意していた。私と小寺さんは親しかったが、県政の複雑な流れの中で袖を分かつ事になった。議会との対立が深刻になったとき議長室に私を訪ね協議した事もあった。墓の構造は福島のそれと似ている。傍の黒い石には「天空海闊」の文字が。大きな度量と包容力を意味する。知事選、参院選の敗北は度量の限界を超えたのか。(読者に感謝)