人生意気に感ず「大沢圧勝の意味。白根開善学校の創立記念」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「大沢圧勝の意味。白根開善学校の創立記念」

◇午後6時半前橋市野中町の大沢事務所は全ての報道陣が慌しく動き回り、大勢の議員や首長が詰めかけて物々しい雰囲気に包まれていた。7時が過ぎるのを待っていたように大沢氏の当確が報じられると一際大きな歓声が起きた。大沢さんは長く選挙をやっているがこんなことは初めてだと笑った。

◇圧勝は予想していたが、後藤氏との票差や前橋市の状況等が気になっていた。全県では、大沢氏39万2千票、後藤氏14万9千票で、その差は約24万票となった。後藤氏の得票は大沢票の半分にはるか及ばなかった。惨敗というべきである。

◇県都前橋は決戦場だった。選対本部は各支部選対の目標を出させた。前橋選対は投票率を40%以上とみて6万票の数字を提出していた。結果は、投票率37%で55,448票。後藤氏に17,174票の差をつけた。

 県都を決戦場と意識したことには来年2月の市長選との関連があった。今回の知事選を小寺前知事の選挙と結びつけて「怨念」がらみと表現するマスコミの動きがあった。敢えてこんな表現が多少とも説得力をもつと思えるのは、来年の高木現市長との戦いに関してである。「怨念」の底には前橋市の民主主義を打ち建てるという問題がある。高木疑惑はどこに行ったのか。この問題を甦らせることが1つのカギとなる。

◇海老根氏は私が議長の時議会とトラブルを起こした人で当時私の家に来て口論した事もあった。昨日吾妻を走った時数枚のポスターを見た。300万円の供託金は没収となるだろう。過去最低となった今回の投票率を見ると、多くの人が大切な一票を放棄する中自ら立ち上がった熱意には、敬服するという見方がある。

◇白根開善学校創立33周年記念式典に出た(3日)。朝7時に家を出て、友人のNさんが運転、私の妹も同行した。長男周平が中高合わせて6年間過ごした学校は六合(くに)の奥地にある。吾妻渓谷の景観は八ツ場ダム関連工事で一変した。白砂川沿いの道を北上し、尻焼温泉を眼下にみながら白樺林に囲まれた校舎に着く。式の前、佐々木理事長の部屋で、創設者本吉修二氏を偲んだ。本吉氏は健康を害して理事長を退き、今学園にその姿はない。

 私は、本吉氏のこと、周平のこと、百キロ強歩のことを「遙かなる白根」に書いた。本吉氏が高い教育の理想を掲げ、無謀な計画を訴訟をも乗り越えて実現させた学園は、大震災後の今、その存在意義を一段と高めている。佐々木理事長は挨拶の中で、私が唯一人で、百キロ強歩に挑戦し70キロでリタイアしたことに触れた。私は与喜屋公民館から星空の下で本吉氏に報告したあの日の出来事を思い出していた。

(読者に感謝)