中村のりお・人生フル回転「空前の被災地に入る。津波の威力と人間の無力を知る」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

中村のりお・人生フル回転「空前の被災地に入る。津波の威力と人間の無力を知る」

◇早朝3時半に集合、福島県、宮城県の被災地に向かった(24日)。NPO群馬情報バンクのメンバー総勢8名。2台のトラックと1台の乗用車に分乗。手入れした中古の自転車、果物、玩具等を被災者に直接届けるためだ。私の胸には歴史的な災害の現実を直接受け止めたいという強い思いがあった。

 北関東道を走り東北道に入るあたりで放射線対策としてヨウ化カリウム丸2錠を飲む。安達太良サービスエリアでいわきの自民党県連と落合い飲料水45箱を渡す。いわき市に入り、汐見が丘小学校を経ていわき市議赤津一夫氏が救援活動の拠点にしている保育園に至る。

 赤津氏は保育園の元理事長である。被災時は3千食の炊き出しをしたという。生々しい実情を聞いた。多くの救援物資がここから被災者に届けられている。後援会組織が救援活動に役立っている。この人と危機時の政治家の役割を話した。

 私たちは津波の直撃を受けた海岸に案内された。大きな家が潰れたあたりは爆撃を受けたようである。誰かが「信じられない」と叫んでいた。近くにはモーテル街があり「再開しました」という表示があった。当時、この中の客はどうしたのかと気を回した。

◇宮城県では正に信じ難い光景が待ち受けていた。多賀城市では市街のいたるところに流されて腹を上に向けている車があり、工業地帯ではアメのように曲った列車の線路が津波の威力を見せつけていた。多くの工場群の一角は巨大な墓地のように静かだった。私はこれを見て、地盤がしっかりしていて、交通網が整っている群馬へ企業誘致を働きかける絶好の機会だと思った。

 海へ近づくと住宅に横付けになっている漁船の姿があった。七ケ浜町では、堤防を越えて道路や空地に侵入した多数の船があった。更に進むと、正に息を呑む光景があった。見渡す限り瓦礫の原が広がっているのだ。私たちの足もとまで生活用品が推積している。私たちは思わず手を合わせて黙とうした。目を閉じると泣き叫び波に呑まれる人々の姿が目に浮かぶ。近くの向洋中では元気な少年たちと話し自転車を渡した。再建は彼らの手にあると思った。

 夜の三陸道の一方には人家の灯があり他方は暗闇である。目を凝らすと惨劇の跡が広がっているのだ。20時間、1千キロの行程を終えて午前0時過ぎ帰宅。今後の県政で活かすべき多くの示唆を得た一日であった。(読者に感謝)