第五章 地獄の満州 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

第五章 地獄の満州


そして、6月4日未明、ついに最悪の事態を迎える。戒厳部隊は、4日午前零時過ぎ、天安門広場に向けて移動を開始。数千人の兵士を乗せた何十台ものトラックがバリケードを突破。そして、数両の装甲車が天安門を全力で駆け抜ける。学生たちのテントの群が踏み潰される。学生たちが建てた高い民主の女神像がごう音と共に倒される。突然、広場の照明灯が一斉に消えた。パンパン。暗闇の中で銃声が起こり、光が走る。逃げ惑う群集、絶叫。闇の中、天安門広場の惨劇が始まった。新聞は、信頼できる情報だとして、死者2千人、負傷者5千人と報じた。また、別の新聞は、死者5千人以上と報じている。

 天安門事件は何故起きたのか、学生たちの民主化要求運動とは何を目指していたものか。新聞もテレビも、学生や市民の動きを“民主化”を求める運動だと報じた。危険を冒してまで民主化を求めるのは、人々が民主的な権利を侵害されているからである。では、人々の民主的な権利を侵害しているものは何かというと、それは、共産党の一党独裁であった。

 中国には12億の人々がいる。12億の人々からみれば極く一握りの共産党員が国を支配している。中国のこの政治システムは「民主集中制」といって、民主主義の一つの形体であるが、それは、民主という言葉に値するようにうまく機能してきたのかというと、実際はそうではなかった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。