第五章 地獄の満州 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

第五章 地獄の満州

このオリンピックを機に、カラーテレビが急速に普及する。また、東海道新幹線の開通は、高速交通時代の幕開けを告げるものであった。高度成長が続くなか、人々は、カラーテレビ、カー、クーラーのいわゆる3Cを求め、これらは新三種の神器とされた。

 昭和43年は、全国の大学で学園闘争が吹き荒れた。私も、東大紛争の渦中にあった年である。この年、日本の国民総生産は、資本主義国の中で世界第二位となる。経済の繁栄と平和の中で人々は消費生活を楽しみ、昭和元禄といわれる世相が出現していた。

 昭和45年には、大阪で日本万国博覧会が開かれた。この万博は、東京オリンピックに続いて、日本経済の繁栄を内外に示すものであった。万博は、世界の77カ国が参加して開かれた。そして、開催期間に入場者数が6千万人を超え、1日平均35万人が詰めかけた。実に、日本の人口の6割強の人が入場したのであった。この万博の盛況ぶりは、日本が戦後の復興を果たし、経済大国となったことを世界に示すものでもあった。

 昭和47年。この年は、戦後の後始末という点で重要な出来ごとがあった。それは、沖縄の返還と日中国交回復である。佐藤内閣の下で念願の沖縄復帰が実現し、続いて、佐藤内閣に代わって、「日本列島改造」をかかげた田中内閣が登場する。この年、田中内閣によって日中国交正常化が実現した。列島改造ブームが起こり、田中角栄の「日本列島改造論」は、発行部数88万部に達した。この動きは地価の暴騰を起こし、当時進んでいたインフレを加速することになった。このようなときに、石油危機・オイルショックが襲う。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。