「前女の100周年記念で挨拶・中山恭子氏同席」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

「前女の100周年記念で挨拶・中山恭子氏同席」

◇県民マラソンが近づいた。今年も10キロコースを50分台で走るつもりだ。16日の早朝、芳賀グランドの外周・520mを20周した。走ることは体力ばかりでなく人生の覇気を生む源泉である。

いつも何かを口ずさみながら走る。その中にはケネディ就任演説の英文もある。この朝は、頭の原稿用紙に一文を埋めながら走った。午後、前橋女子高の式典で挨拶する事になっていた。前女の問題をこえる内容なのでここで紹介したいと思う。

 「県立前橋女子高等学校が創立百周年という偉業を達成されました。心からお慶び申し上げます。この百年は、日本の長い歴史の中で、かつてないダイナミックな変化と出来事があった時期です。前女は、時代の試練を乗り越え、時々の社会的使命をよく果しつつ、立派な伝統を築いてまいりました。

 この間における最大の試練は、第二次世界大戦に遭遇したことであります。前橋の大半は焼かれて廃墟になりました。当時の写真を見ると、カトリック教会と桃井小あたりを残して荒涼とした瓦礫の山が広がっています。前女も校舎が焼失し、当時の生徒や関係者が涙ぐましい努力をして新校舎再建を果したといわれます。

 しかし、私が強調したいことは、真の試練は校舎焼失ではないということ事であります。校舎は金を集めれば出来るが、失われた文化や精神的な価値観など目に見えないものは、容易に取り戻すことが出来ません。この変化に立ち向かうことこそ最大の試練でありました。

 敗戦を契機として、大日本帝国憲法にかわり日本国憲法がつくられました。天皇主権にかわり国民主権の誕生であります。新憲法は、人間の尊厳・基本的人権の尊重という人類普遍の理念を高く掲げた素晴しいものでありますが、突然の変化は社会に戸惑いと混乱を生みました。この混乱は今日まで尾を引いていると私は考えています。

 この変化の大波は、わが古里にも押し寄せ、特に教育界を直撃いしました。このような時、大きな役割を果すのが伝統校の存在であります。磐石の伝統は嵐にも耐える力をもっております。前女は、しなやかに、力強くこの変化に対応し乗り越えました。社会の混乱期を支える、優秀な頭脳とハートを備えた女性を伝統の校風によって育てたのであります。以来、前女は、社会の各分野を支える有為な人材を多く輩出させてきました。

 今日、日本は大きな危機を迎えております。その根本は、物は豊になったが、日本人の心は貧しくなったといわれる点にあります。

 このような時に当り、前女が創立百周年記念という事業を行うことには格別な意義があります。前女が、その真価を再び発揮すべき時がきております。この記念事業は、このことを確認し、次の飛躍を期すステップであると思います。

 「賢く、明るく、強く、気高く」という校訓は、時代の変化を貫いて進む前女の永遠の理想を示しております。前女の更なる大きな発展を願い、また、21世紀の「かかあ殿下」を前女の力で実現することを、合わせて願い、私の御挨拶と致します。」

 挨拶を終えると隣りの席にいた中山恭子参議院議員が、良い挨拶をありがとうと小声でいった。彼女は前女の同窓生なのだ。(読者に感謝)