第五章 地獄の満州 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

第五章 地獄の満州

2010年10月11日(月)


④松井かず、ハルビンから撫順へ逃れる。

 数時間も歩いたろうか。松井かずの疲れた足には大変長い距離に感じられた。炭坑に着くと、坑夫が寝泊まりする寮が数多く一つの町並のように並び、また、大きな倉庫もたくさんあった。人々は疲れきっていた。松井かずは、どんなところでもよいから屋根の下で休みたかった。炭坑事務所との交渉が成立し、人々は空いている部屋に分かれて入った。

 構内は途方もなく広いことが次第に分かってきた。寮がたち並ぶ一角に食堂と炊事場があって、炊事場の隅の鍋や釜を、空いている時に使うことが暗黙のうちに許されるようになった。

 真っ赤なコォリャンが各人に少しずつ配給になった。それを集めて釜で食べるわけであるが、調味料はもちろんない。茶碗や箸もなかった。

 この炭坑の一画には、ソ連兵や八路軍が駐屯していた。お互いがけん制しあっているせいか、ここではソ連兵の暴行もないといわれた。兵士たちの近くにカンヅメの空カンが山のように捨ててあるという情報が入った。松井かずは、恐る恐る空カンの山に近付き、大小のカンをひとかかえ拾ってきた。空カンには食べ残しのスープが僅かだが残っている。これは貴重な調味料だった。松井かずは、大鍋で煮たコォリャンを大きめの空カンで再び煮て食べた。これに空カンから集めたスープをたらし込み、食堂のごみ捨て場で拾った野菜くずを入れて、ぐつぐつと煮て食べた。何ケ月ぶりかで味わう温かい手製の料理であった。

 人々は、炭坑で働いて少しでも金を得ようと考えていたが、実際は、ほとんど働くことは不可能だった。栄養失調や病気でバタバタと倒れ、11月ごろになると、寒さも加わって、毎日多くの人が死んでいった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。