第五章 地獄の満州 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

第五章 地獄の満州

④松井かず、ハルビンから撫順へ逃れる。

貨車が走っているときは、戸を少し開け、そこから尻を出して用を足す。両手でしっかりと両方の戸につかまり、まわりの人も腕をつかんでこれを助ける。走る列車からの放尿は大変なことであった。列車は走っては止まり、止まっては走る。何日かが過ぎたとき、人々は、重苦しい空間に耐える苦痛を訴え出した。貨車にこびりついた家畜の臭には耐えられる人々も、ぶつかり合う不満や感情、そして、それらを乗せて漂う体臭に次第に耐えられぬほどの苦痛を感じだした。板の隙間から差し込むわずかな光が苦痛でゆがんだ人々の顔をぼんやりと照らしている。

「撫順はまだなの。ああ、外へ出たい」

誰かがつぶやいた。松井かずも、口には出さないが同じ思いだった。今では、不思議なことに、命がけで川を渡り、血まめの足を引きずって緑の草原を強行軍していたことが懐かしく思い出される。ああ、思いっきり外の空気が吸いたい。青い空を見たい。広い草原を思い切り走りたい。そう思うと、松井かずは、その狭い空間に押し込められた自分たちが、貨車でとさつ場に運ばれる家畜のように思えるのだった。そして家畜でもそれ以下でもいい、早く撫順に着きたいと思った。人々のいらいらした気持ちがため息にのって、視線に表れて、狭い空間でぶつかり合う。

 小さな子供が、腹が減ったといって泣き出した。

「うるさい、泣かせるな」

「すみません、すぐ黙らせますから」

「子供が泣くのはしょうがないでしょ」

いろいろな声が飛びかい、貨車の中の空気は、どろどろしたものがますます濃くなっていった。そして一週間ほどの後、極限状態の中で、やっと撫順に着いた。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。