第五章 地獄の満州 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

第五章 地獄の満州

②ソ連の参戦。-野獣のソ連兵―

 この娘は、そのうち、おかしくもないのに、ヘラヘラと笑うようになり、撫順に着くころには、明らかにおかしくなっていた。娘は狂女になり、病を得て撫順で死んだ。

 戦争にこのような婦女に対する暴行は付きものと言われるが、一律に論ずることはできない。兵士の属する国の文化の程度やその戦いの目的や性格などによって、兵士の行動に大きな違いが生ずるのであろう。この頃、中国では、毛沢東の下で社会主義の国をつくろうという理想をもって戦っていた八路軍があったが、八路軍の規律は厳格で、婦女に対する暴行は一切なかったという。満州に侵攻してきたソ連の兵士の多くは、刑務所の囚人であったという。彼らに対し、スターリンは、日露戦争の仇を討てと号令したとも聞く。いろいろな悪い条件が重なって、満州の曠野を逃れる婦人たちの悲劇を大きくしていった。

 この頃、日本内地では、進駐軍によって婦女子がどんな被害を受けるかが大変心配されていた。ちなみに、群馬県史によれば、県から各市町村に対し、「進駐軍に対する県民へのご注意」が配布され、それには、「進駐地婦女子心得」として、次のように書かれていた。「服装は何時も正しく且つ地味なものを用い、薄着とか肌を見せる様な恰格はしないこと。特に、事故の未然防止はモンペ着用に限ることを忘れぬこと」と。心配されたような混乱は、おおむね起きなかったのである。

 松井かずたちは、この通北に45日間とどまった後、ハルビンに向かった。この頃になると、彼女たちの耳に各地からの情報が次々に伝わってきた。それは、どれもが常識では考えられないことばかりだった。その幾つかをここで取り上げたいと思う。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。