人生フル回転「地獄の戦場ニューギニア。慰霊巡拝の思い出」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生フル回転「地獄の戦場ニューギニア。慰霊巡拝の思い出」

◇終戦記念日が近づいて、例年のように、テレビも新聞も、かつての戦争を盛んに振り返っている。12日の夜、たまたまテレビをつけるとニューギニア戦線のことをやっていた。私がこの番組に注目したのは、県議会副議長として慰霊巡拝のためこの地を訪れた時の事を思い出したからである。01年(平成13年)10月のことであった。

 ニューギニアは、地獄の戦場といわれ約12万人の犠牲者が出たが、そのうち、9230名が群馬県出身者であった。パプアニューギニアを目指す私を緊張させたものは、この数字の他にも1つあった。

 それは出発の直前(9月15日)ニューヨークで、あの同時多発テロが発生したことである。この事件は、世界中をテロの恐怖に陥れたばかりでなく、その後の世界情勢を一変させた。

 私は、首都ポートモレスビーの宿舎の近くの路上で奇妙な絵を買った。裸の男がしきりにすすめる絵は、ビル群の中央に抜きん出た一際高いビルにヒコーキが突き刺さり真っ赤な炎を上げているもの。粗末な布に描かれた絵は迫力があった。それは、明らかにニューヨークテロ事件の現場だ。事件の直後に、このような未開の地でこのような絵が売られていることに、事件の衝撃の大きさを感じた。この絵は、現在、私の書斎に置かれている。

◇ニューギニアの北岸の都市ウエワクへ行き、ミッションヒルと呼ばれる激戦の跡を訪れたときの光景が忘れられない。この丘のふもとには日本軍の高射砲陣地があった。ジャングルの中の赤く錆びた高射砲は天の一角を鋭く指している。この砲にしがみついて頭上の敵機と闘った兵士の姿が目に浮かぶようであった。

 その時、裸の少年が近づき手にした大きなシャコ貝の貝殻を差し出した。少年はニコッと笑いながら貝殻をそっと私の手の平に置いた。貴重な宝物を手離すことを惜しむように。そして少年はかも鹿のように走り去った。

 この貝殻は、今でも常に私の書斎の机に置かれている。貝殻の白い面には、赤い字で「素敵なプレゼント、ミッションヒルの少年からもらう、ニューギニア、10月24日」と書かれている。あの少年は、今ごろ、どうしているだろうか。

◇ラエとラバウルの慰霊式が記憶に焼きついている。ラエはダンピール海峡に臨む市。この海峡で日本軍は3千数百名を失った。ラバウルでは旧日本軍のラバウル飛行場跡を見た。そこには日本軍の戦闘機の残骸もあった。海を見下ろす山腹に立つ戦没者の碑の前で、私は万感の思いで追悼文を読んだ。(読者に感謝)