人生フル回転「臓器移植は今後の社会を変える。昭和17年の甲子園」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生フル回転「臓器移植は今後の社会を変える。昭和17年の甲子園」


◇脳死を人の死と認定し、摘出された心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓がそれぞれ移植手術された。腎移植手術は群大病院で行われた。医学の大きな進歩である。利己主義が目に余る今日の社会で臓器提供は利他主義の象徴的行為である。黒い雲で覆われた空の一角にぽっかりと晴天が広がるのを見る思いである。臓器移植の普及は、今後、社会を大きく変える力になるだろう。

◇臓器移植法が施行されたのは平成9年であるが要件が厳し過ぎた。群馬県議会は、平成19年の2月議会に於いて臓器移植法の改正を求める意見書を国会に提出した。改正法が施行されたのは今年の7月17日である。この法律に基づく臓器摘出手術が始まったのは8月10日午前3時頃。すごいはやさで事態が推移したことに驚く。

◇ここに至る迄には、臓器移植に関する「事件」及び激しい議論の積み重ねがあった。生きている人から臓器、例えば心臓を摘出して死に至らしめれば殺人罪になる。だから何を基準にして死を判定するかという根本的な議論があった。臓器移植を成功させるためには死の認定ははやい時期がいい。今の法律は、心臓がドッキンドッキンと動いていても脳死をもって人の死と判定できる。

 今からおよそ42年前、札幌医大の和田教授(当時)は日本で最初の心臓移植手術を行った。和田教授は海で溺れて意識不明となった当時18歳の青年を脳死と判定しその心臓を摘出した。移植手術を受けた若者は83日後に死亡した。和田教授は殺人罪で告発された。人の死の基準を脳死に求めるかどうか十分議論されていなかった時のことである。

 この事件のために日本の臓器移植は大変遅れたといわれるが、臓器移植の必要性に支えられて議論が熟し今日の改正法に至った。

 改正された主な点は、提供者の意思が書面で示されていなくても家族が認めればよい、15歳未満の子どもも対象に含まれるなどである。

◇甲子園で見せる若者のエネルギーは凄い。ガッツがないといわれる今の子どもたちにも昔と変わらぬ可能性が秘められていることを教えてくれる。

 太平洋戦争中は野球どころではなかったが、昭和17年に唯一度甲子園大会が復活したことがあった。国民の意識を戦争に集中させるための手段としてスポーツまでも総動員されたのだ。

 試合開始の音楽は進軍ラッパ。体調が悪くても投手の交替は退却だからと認めない。そんな熱戦の記録を見る機会があった。彼らの行く手には、学徒出陣や少年特別攻撃隊などが待ち受けていた。甲子園の若者たちに65年前の暑い夏を知って欲しい。15日の敗戦の日が近づく。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。