中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba
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死の川を越えて 第222回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

五 水野は語る、本妙寺集落

 

 明星屋の浴客水野高明が、かつて九州帝国大学で法学を教えていたこと、そして元熊本藩士の子孫であることは既に書いた。湯の川の患者一般にいえることであるが、この水野も謎の存在であった。それが渦巻く状況の中でこの男は集落の出来事に関わる中で、湯の川で次第に重要な役割を演ずることになる。

 そこで、信頼感が芽生えれば同病のこととて、絆がつくられることも自然の流れであった。ある夜、正助は明星屋の水野の居室を訪ねることになった。水野が話をしたいと言うのだ。一歩部屋に入って正助は思わず息をのんだ。壁を埋め尽くす程に積み上げられた書物。それは、万場軍兵衛の所に凌ぐ景観といえた。

「は、は。驚いていないで座りたまえ。お互い不思議な人生ですな。ハチマキをして群集の前に立つなど想像もしなかったことです」

「先生、格好よかったですよ」

「ありがとう。昔大学では若い人に囲まれていました。君を見て、あの頃を懐かしく思い出しました。この湯の川は、天国と地獄ですな。万場先生がハンセンの光と言い、リー女史は喜びの谷と申しておりますが、私にとっては、生きた真の大学であり人生の実験場です」

「先生は、自由の大学だと言いましたがそのことですか」

「そうです。大学とは立派な建物で囲まれた所とは限らないのです。人間の真実を追究するところです。個々の学問のその手段です。私は湯の川でそのことを肌で理解しました」

 水野はこう言って、遠くを見る目をした。そして、笑顔になって言った。

「あの住民集会で、正助君の演説の姿を見てな、九州大学のキャンパスを思い出しました。学生運動というのがありました。純な若者は、社会の不正に怒りをぶつけます。権力に抵抗します。私の心の中では、その乗車拒否反対集会は九州大学の構内の如く見えました。そこで思わず、ハチマキの行動となりました。は、は、は」

つづく

「選挙は民主主義の根幹、これを振り返る時。俵で寝た人々の衝撃の光景」

◇地方選がたけなわである。「選挙は民主主義の根幹」と言われて久しい。日本の選挙制度を振り返る時である。1925年に女性参政権が認められた。1945年は昭和20年で、日本はこの年終戦を迎えた。日本の社会に正に革命的変化が生じた時である。歴史をかえりみれば、長い間男尊女卑が続いた。私が生まれたのは1940年である。戦後の混乱期、食糧難や社会的混乱による流言飛語が飛び交う中、私の一かは赤城の谷の奥に開墾生活に入った。現在の前橋市柏倉町落合である。私たちが掘立小屋を建てた時、その場所に住んでいた3軒の家があった。その一軒についての衝撃の光景は今でも瞳に焼き付いている。家族が米俵に入り頭だけ出して横たわっていた。開墾生活が並大抵でないことを覚悟した。私の人生の原点であった。後年、篠の山をかき分けてその場所に入ったことがある。大胡町のある人の所有となっており、小さなプレハブ小屋とドラム缶があった。ここで冬の日、強風と獣におびえながら過ごしたことを思うと懐かしさで感無量であった。ここでの生活は困難であり、学校に通うのも無理であったので間もなく下の部落に移った。現在の「大崎つりぼり」のあたりである。ここから鼻毛石町の小学校に通った。後に歩いてみたがかなりの距離で、よくやったものだと我ながら感心した。足が強くなったのはこのお陰である。当時は下駄であって、長い道のりには面倒なので道端の木の根に隠して走った。教室入口に水をたたえた場所があり、ザブンと飛び込んでビチャビチャと駆け込んだ。衛生状態は悪かった。校庭で忘れ難い思い出があった。シラミであった。今の子はシラミやノミを知らないのではないか。シラミは白く、ノミは赤っぽいのである。青いセーターにシラミがすみ着いている。母と爪でつぶした思い出がある。75、76と数えたことが忘れられない。ある時お尻がヌメヌメして気持ちが悪かった。長い回虫が下がっていてトイレに走ったことがある。学校ではカイジン草とかミグとかが配られた。虫下しである。こんな状況でも皆元気で健康だった。今思えば腹の虫たちも助け合って生きる友達だったのだろう。現在の子どもたちは無菌状態で生きるためにかえって弱いとも言われる。人間は野性から遠ざかる程弱くなるという説があるが真実かも知れない。小学校時代がいかにも懐かしい。野性こそ原点であった。(読者に感謝)

「アメリカの大統領暗殺の歴史に思うこと。核の時代の日本の役割。核拡散の衝撃」

◇あわやの襲撃に驚愕した。刀によって語られる日本の時代劇、銃によって綴られる西部劇、これは二つの社会の特徴をよく現わすものである。アメリカの要人暗殺の歴史は凄い。背景には銃の所持が憲法によって保障されるという銃社会の存在がある。大統領暗殺は、誰もが知るリンカーン大統領暗殺に始まり、ガーフィールド、マッキンリー、ケネディと続いた。ケネディ暗殺事件は特に有名である。世紀のこの暗殺は事件後も長いこと謎に包まれている。真相については諸説あるが、その中にはケネディが進めようとしていたベトナムからの撤退を望まない勢力によるものという陰謀論まである。国を挙げての調査活動が始まったが、調査委員会スタート時、不審な死をとげた者は12人にのぼるとされた。ケネディはアメリカの良き時代の象徴であった。ケネディが葬られているアーリントン墓地には毎年400万人もが訪れると報じられた。大事件は悲劇となり、人々の想像力によって悲しみの度合いが膨らむのと比例して発展する。人間は本性として悲劇を望む。他人の不幸は密の味という言葉は人間の悲しむべき本性を物語る。

 歴史を振り返れば単一民族で島国の日本は総体的に波乱が少なかったといえる。その点アメリカなどは他民族の抗争の坩堝であったから、血で血を洗う歴史は想像を絶するものであった。歴史はダイナミックに変化し、日本の新しい役割と使命が問われることになった。マルコポーロが伝えたおとぎの国ジパングは、21世紀に至り大きく変身して世界の中心に立ち現れた。

 現在、地球規模の対立と混乱の中にあって、日本はその最前線にある。長い人類の歩みの中で、予想だに出来なかったことは核の出現である。頭上に太陽が落ち、鉄が溶け、人の影がコンクリートに焼き付けられることを誰が想像できたであろうか。広島と長崎の出来事は戦争の歴史を変えた。戦争は必然的に核戦争に繋がり、それは人類を滅亡に導く。私は小学生低学年の頃、映画で「ピカドン」を観た。肉が垂れた両手を突き出して歩く幽鬼のような姿は衝撃の一言であった。あれから80年余が過ぎた。現在核戦争の足音が聞こえる状態である。ピカドンを観た時と決定的に違うのは核が拡散してしまったことだ。核が民主的にコントロールできない非道の国に握られている。しかも非道の国は隣国なのだ。日本は稀に見る貴重な存在と言わねばならない。人間尊重も人権も現在累卵の危機にある。今、日本人一人一人が試練の場にある。それを自覚しなければならない。(読者に感謝)

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