アメリカ実験映画の黄金時代〜「アンソロジー・フィルムアーカイブス──アメリカ実験映画の地平へ」展に寄せて〜
(初出、国立映画アーカイブ「NFAJニューズレター」2026年1-3月号、pp.3-5。本稿は東京・京橋の国立映画アーカイブで開催された大規模な実験映画上映会「アンソロジー・フィルムアーカイブス アメリカ実験映画の地平へ」(2026年1月15日-2月8日)に関連して書かれた解説の再録である。国立映画アーカイブHP内の本企画のページで「企画の紹介」としてニューズレター掲載ページのpdfがリンクされた。)
写真は左からケン・ケルマン、ジェイムズ・ブロートン、P・アダムズ・シトニー、ジョナス・メカス、ペーター・クーベルカ(エッセンシャル・シネマ選考委員、本文参照)
国立映画アーカイブのファサード(鈴木野々歩さんのfacebook 26/1/21の写真から)
今回の「アンソロジー・フィルムアーカイブス アメリカ実験映画の地平へ」はその規模においても内容においても画期的な企画である。国立映画アーカイブは、旧フィルムセンターの時代も含め、戦前のフランス・ドイツの前衛映画を所蔵作品として上映することはあったが、アンダーグラウンド映画と呼ばれた全盛期のアメリカ実験映画(当事者たちは"ニューアメリカンシネマ"と称した)をこのようにまとめて上映するのは初であり、またイメージフォーラム・フェスティバルや恵比寿映像祭でも復元プリントによるこの規模の回顧上映は行われたことがない。
実験映画の表現はしばしばフィルムというメディアの特性や物質性、コマ(1フレーム)という単位を重視してきたが、今日フィルムからデジタルへと映像のメディアが移行すると作り手も観客もそうした関心や理解は弱まり、実験映画という言葉は日本では目にすることが減った[1]。ちなみに日本では戦前は前衛映画という呼称が主で、実験映画という言葉は1950年代から雑誌等で見かけるが、広く使われたのはアメリカの新しいアヴァンギャルド映画が草月ホール(草月アートセンター)で次々と紹介された60年代半ば以降である。70-80年代を通じて新聞雑誌でも使われ、普通の映画ファンでもそれがどんなタイプの映画を指すのかは知っていた。またイメージフォーラム・フェスティバルは87年に改称する前は「実験映画祭」(1981-85)と称し、その前の70年代は「アンダーグラウンド・シネマ新作展」(1973-80)という名称だった。
そこで言う実験映画とは、"60年代のアメリカ実験映画"を範例とした新しい映像表現のことであり、その特徴は、物語性を持たず、イメージだけの詩的表現やコンセプトに基づく形式重視の作品、再撮影やマスク合成など特殊撮影やコマ単位の撮影・編集による作品、2面以上のスクリーンへのマルチプロジェクションなど、既成の映画の形式や概念を逸脱し転覆する映画だった。短編が多く、ハリウッド映画に抵抗・対抗する映画という側面も強かった。ジョナス・メカス(1922-2019)、アンディ・ウォーホル(1928-87)、ケネス・アンガー(1927?-2023)、スタン・ブラッケージ(1933-2003)、マイケル・スノウ(1928-2023)、ハリー・スミス(1923-91)、ジャック・スミス(1932-89)といったカルチャーヒーローのようなスター作家たちが綺羅星の如く並んでいた。
当時の興奮をマーティン・スコセッシはこう書いている。「60年代に世界の各地から現れる驚くべき映画を我々が目にしていたとき、その興奮の中心にはアメリカのアヴァンギャルド映画があった。毎週のように我々は何か新しいもの、予想外のものを目にしたのだ──映画文法でも、映像と音の関係でも、異質なテクスチャーや時間感覚でも。」[2]
時代的に映画メディアや映画史への言及といったメタシネマ的意識も強く、既存のフィルム断片を使うファウンド・フッテージ手法[3]の隆盛にもつながった。やがて時代とともに物語性が徐々に再導入されたり、身体やパフォーマンスの要素が強くなったり、私的な告白や日記的エッセイが現れたりしたが、90年代から2000年代まで8mm、16mmフィルムで数多くの作家が実験映画・個人映画を撮り続けた。
それらは劇映画やドキュメンタリー映画とは異なるカテゴリーの系譜を歴史的に形成したが、それが指し示してきたのは「映画は物語(ドラマや登場人物)がなくてもイメージだけで成立する」という事実であり、産業化された映画より「写真」(写真家自身が撮影し現像・プリントする)に近い面や抽象映画は視覚の音楽(visual music)に近づくという面もあった。詩人や画家、ミュージシャンの個人的作業に比せられてきたが、言語表現における「詩」のあり方、その形式の自由さ、言葉の独自な使い方、反復やリズム、説明しきらない多義性が、実験映画の表現特性と重ねて語られることも多かった。
一方、かつてルネ・クレールが『幕間』(24)や『塔』(28)を撮り、ルイス・ブニュエルが『アンダルシアの犬』(29)を、ジャン・コクトーが『詩人の血』(30)を撮ったように、劇映画とかけ離れた何処かにアヴァンギャルド映画・実験映画があるわけではなかった。日本では大林宣彦や高林陽一の初期作品は実験映画の古典となっているし、ヴィム・ヴェンダース、デヴィッド・リンチ、ピーター・グリーナウェイら(とりわけアートスクール出身の映画作家)は実験映画を初期に撮ったり写真・絵画・インスタレーション等を展示したりした。タイの大学で建築を学んだのちアート・インスティチュート・オブ・シカゴ(シカゴ美術館付属美術大学)で映画制作を学んだアピチャッポン・ウィーラセタクンは実験映画的な手法やアプローチを取り続け、ポンピドゥセンター等でインスタレーション展も開いている[4]。
ジョナス・メカスらが発行していた「フィルム・カルチャー」誌(1955-96)は1959年にインディペンデント映画賞を創設し69年までの10回のうち大半は実験映画作家だったが[5]、第1回(59年)は『アメリカの影』のジョン・カサヴェテスに、第3回(61年)は『予備選挙(プライマリー)』(60)のリチャード・リーコック、D・A・ペネベイカー、ロバート・ドルー、アルバート・メイズルスに授与された。
劇映画と実験映画の両方を手がけた、もしくはその境界領域で制作を試みた作家は、アベル・ガンスやアルベルト・カヴァルカンティらの先駆者のほかカーティス・ハリントンのような監督、日本では松本俊夫、金井勝、寺山修司、山田勇男、手塚眞ら、またマルセル・アヌーン、フィリップ・ガレル、マルグリット・デュラス、デレク・ジャーマンらの名を例として挙げることができる。ヤン・シュヴァンクマイエルやクエイ・ブラザーズも入るだろうし、近年のツァイ・ミンリャンや七里圭もそうした作家といえる。『シルビアのいる街で』(2007)のホセ・ルイス・ゲリンは、『メカス×ゲリン 往復書簡』(2011)の中で8mmで映画を作り始めた彼がジョナス・メカスの日記映画にいかに影響を受け、バルセロナで実験映画の上映や出版に関わったかを語っていた。
今回の企画の母体となるアンソロジー・フィルムアーカイブスは単独のアーカイブ機関というより、メカスをオーガナイザーとしたニューヨークの実験映画拠点フィルムメイカーズ・コーペラティブ(1961-、66年から配給センターも)から派生した施設で、フィルムメイカーズ・コープはイギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア等の主要都市でそれをモデルにした実験映画作家団体(配給・上映)が組織され、地域によっては機材や現像設備の共有も行われた。日本ではジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブから分裂したアンダーグラウンド・センター(71-77,その後イメージフォーラム)が同種の作家団体となった。
ニューヨークのフィルムメイカーズ・コープは、実験映画の定期上映(フィルムメイカーズ・シネマテーク)・配給・雑誌発行など、実験映画運動の文化的基盤を構築し、国内外で活発な活動を展開、西海岸でも同様の動きがあった。60年代は隣接領域の現代美術、コンテンポラリーダンス、パフォーマンス、現代音楽やフルクサス、ビート詩人などとも交流・連携し大きなムーブメントをなしていた。
フィルムメイカーズ・シネマテークで同時代の作品だけでなくアヴァンギャルドのクラシック作品を蒐集し上映する「エッセンシャル・シネマ」というコレクション企画が60年代後半に始まり、それがアンソロジー・フィルムアーカイブスの設立(1970)へと発展した。アンソロジーとはもとは詩選集、詞華集のことだが、短編作品が多い実験映画を集めて上映するという意味でこの名を冠したようだ。「芸術としての映画のみ」(exclusively on film as art)を対象とする映画アーカイブ、「インディペンデント、アヴァンギャルド映画&ビデオの保存・研究・上映のための世界で唯一のミュージアム」(83年当時の募金用パンフレット)は珍しい存在だが、それ以上に特異なのは当初の理想主義的・原理主義的な姿勢であり、外国映画もオリジナルのまま字幕も吹き替えもつけずに上映、ロシア映画など必要な場合はあらすじを配布した。究極的なのは客席に仕切りがあるペーター・クーベルカ設計の映画館"Invisible Cinema" だった(1970-74、ラファイエット・ストリートのパブリックシアター内)。壁も椅子も真っ黒な空間で客席は頭部が1席ずつ仕切られ一人一人が映画に集中できる「映画を見て聞くための装置」であった(クーベルカは創設に関わったオーストリア映画博物館[1964-]でも"Invisible Cinema"を開館25周年の1989年に実現した)。
エッセンシャル・シネマの選考委員はジョナス・メカスのほか、上記のペーター・クーベルカ(1934-、ミニマルな映画の先駆的作家)、P・アダムズ・シトニー(1944-2025、アメリカ実験映画に多大な貢献をした批評家・歴史家)、ケン・ケルマン(2017没、シトニーの若い頃からの友人で劇作家・映画批評家、『アメリカの実験映画』所収の「ジャック・スミスの神話」「古典的造型とその技法(ドヴジェンコ『大地』論)」など)、ジェイムズ・ブロートン(1913-1999、サンフランシスコの詩人で戦後アヴァンギャルド映画の先駆者)の5人で、当初はブラッケージもメンバーだった。アンダーグラウンド映画の主要作家・作品のほか、古典としてブレッソン、ブニュエル、エイゼンシュテイン、ドヴジェンコ、ヴェルトフ、プドフキン等の作品がリストアップされ、グリフィス、シュトロハイム、フラハティ、ジャン・ヴィゴ、ロッセリーニらと並んで小津安二郎『生れてはみたけれど』『父ありき』が入っているのも目を引く[6]。
アンソロジーはソーホーのウースター・ストリートに移転後、恒久的な施設として旧裁判所の建物(現在の所在地)をニューヨーク市から79年に取得、しかしレーガン政権下の文教予算削減で改修経費を賄えず使用権返上の危機に見舞われ、資金集めのため1983年12月にメカスは初来日し募金を呼びかけた。上映は早く再開したが88年に全体の改修が完了し正式オープン、メカスは最晩年までディレクターを務めた。
今日ではフィルムメイカーズ・コープよりもアンソロジー・フィルム・アーカイブスがニューヨークにおける実験映画拠点となっているように見受けられ、21世紀に入ってから修復・保存・デジタル化・映像ソフト化や国際交流に力を入れて、大規模な復元保存プロジェクト『Unseen Cinema: Early American Avant-Garde Film 1893-1941』(2001, 7巻のDVD-BOX, 01-05年巡回上映実施)や『TreasureIV: American Avant-Garde Film 1947-1986』(2009, 2DVDs)といった重要なアンソロジーをアカデミー・フィルム・アーカイブや国立映画保存基金を始め様々な団体と協力して実現したり、主要な作家たちの作品の保存・映像ソフト化にも協力している。
今回の上映では初見の作品が数多く楽しみだが、ビッグネーム以外で個人的に注目している作家は、まずマージョリー・ケラー(1950-94)だ。『The Untutored Eye』[7](86)の著者として、またP・アダムズ・シトニーのパートナー(双子の姉妹の母)として知られた女性作家だが、43歳で亡くなり日本では上映されたことがないと思われる。アクティヴィストでもあったようだが、ニューヨーク大学の博士論文を出版した著書の題名がブラッケージの「視覚の隠喩」[8]の冒頭の一節「何も教え込まれていない眼(untutored eye)に光はどれほど多彩な虹をつくり出すことか」の引用であることからもわかるように作風もブラッケージの影響を受けているようだ。再発見されるべき作家といえよう。
ロン・ライス(1935-64)は29歳で肺炎で夭逝しジャン・ヴィゴや山中貞雄を想起させるが、ビートジェネレーションとアンダーグラウンドをつなぐ作家で、ジャック・サージャント『Naked Lens: Beat Cinema』はロン・ライスの『花泥棒』と主演テイラー・ミード(1924-2013、詩人・作家・俳優、ウォーホル映画でも有名)に1章を割いている[9]。日本ではほとんど上映されなかったが、2005年に作品が復元されアメリカでも再評価が進んだ模様だ。
ほかにもハリー・スミスの35mmの後期作品やグレゴリー・J・マーコポウロスの『ふたたび男が (Twice a Man)』(63)が見られるのも貴重だ。若い世代も含め予備知識なしに触れてほしい作品ばかりである。
ⓒ西嶋憲生
[1] もっともジェイムズ・ベニング(1942-)のような作家は、フィルムからデジタル制作に移行しても「ジェイムズ・ベニングの実験映画」としか呼びようのない作品を制作している。たとえば『Stemple Pass』(12,デジタル)は1カット30分の固定・長回しで四季の4カットから構成されている。
[2] Martin Scorsese,"Foreword" in Treasure IV: American Avant-Garde Film 1947-1986, DVD booklet, National Film Preservation Foundation,2009,pp.6-7. ちなみにスコセッシはニューヨーク大学映画学部の学生時代(60年代前半)にジョナス・メカスと出会って以来の友人で、2006年に『ディパーテッド』撮影中のスコセッシを80歳代前半のメカスがデジタルビデオで撮った『Notes on an American Film Director at Work』(08,64分)もある。ポンピドゥセンターからスコセッシについて5-10分の作品を依頼されたのがきっかけで、撮影終盤の7ヶ所のロケーションがパート分けされている。
[3] シュルレアリスムの「見出されたオブジェ」(仏objet trouvé[遺失物の意も]/英found object)がフィルムに応用されたのがfound footageであり、出所不明の廃棄フィルムからニュース映像など既存のフィルム断片(主に白黒)を引用・編集することで新たな意味や感覚を生み出す。ケン・ジェイコブス『トム、トム、笛吹きの息子』(69)のような初期映画や、リュミエール映画が引用されることもある。ジョゼフ・コーネル『Rose Hobart』(36-39,『ボルネオの東』31の引用)、ブルース・コナー『A MOVIE』(58)などが早い例で、80年代のアプロプリエーション(流用・盗用)や90年代の20世紀史への言及といった流れと結びつき、表現の一潮流となった。
[4] アピチャッポンは実験映画ではブラッケージやマヤ・デレンがよく言及されるが、2012年にミネアポリスのウォーカー・アート・センターで『メコンホテル』をプレミア上映した際に、同時期開催の「The Renegades:American Avant-Garde Film,1960-1973」に関連して同館の実験映画コレクション(The Ruben/Bentson Film and Video Study Collection)から彼にインスピレーションを与えた作品のプログラムを依頼され、次の作品を選んだ。これを見てもどれほど実験映画に通じた作家であるかがわかる。ブルース・コナー『TEN SECOND FILM(10秒映画)』(65)、ケネス・アンガー『我が悪魔の兄弟の呪文』(69)、スタン・ブラッケージ『Thigh Line Lyre Triangular』(61)『Sexual Meditation Motel #1』(70)、ジョージ・クッチャー『裸のまま抱きしめて』(66)、ポール・シャリッツ『T,O,U,C,H,I,N,G』(69)、ジェイムズ・ホイットニー『ラピス』(66)、ロバート・ネルソン『Bleu Shut』(71)
[5] 顕彰された作家・作品は、第2回ロバート・フランク、アルフレッド・レスリー(『Pull My Daisy』)、第4回スタン・ブラッケージ(『死者』『プレリュード/ドッグ・スター・マン)、第5回ジャック・スミス(『燃え上がる生物』)、第6回アンディ・ウォーホル(『スリープ』『ヘアカット』『イート』『キス』『エンパイア』)、第7回ハリー・スミス(作品全体に)、第8回グレゴリー・マーコポウロス(作品全体に)、第9回マイケル・スノウ(『波長』)、第10回ケネス・アンガー(『我が悪魔の兄弟の呪文』)
[6] P.Adams Sitney(ed),The Essential Cinema: Essays on the films in the collection of Anthology Film Archives,New York University Press & Anthology Film Archives,1975.(2nd Printing by Film Culture Non-Profit Inc.,1989)
[7] Marjorie Keller,THE UNTUTORED EYE: Childhood in the Films of Cocteau, Cornell, and Brakhage, Associated University Presses,1986.
[8] Stan Brakhage,"Metaphors on Vision" in METAPHORS ON VISION BY BRAKHAGE (edited & introduction by P.Adams Sitney),Film Culture,1963(2nd ed.1976). 拙訳「視覚の隠喩」『ブラッケージ・アイズ2003-2004 STAN BRAKHAGE FILM EXHIBITION in JAPAN』ブラッケージ・アイズ実行委員会,2003,pp.83-84(原文併記).
[9] Jack Sergeant(et al.),The Naked Lens: Beat Cinema,Creation Books,1997,Chap.3,pp.69-90.
(26/3追記)この上映プログラムが最終的に確定し公表されたのは25/12/20だった。本稿は25年11月後半に書かれ12月初めに脱稿したが、その後プログラムの全貌や実際の上映会を見ると、企画者の意図としては当時の実験映画(アンダーグラウンド映画から構造映画の時期)を同時期に接点のあった自己言及的なドキュメンタリー(ウィリアム・グリーヴス『シンバイオサイコタクシプラズム:テイク・ワン』)やカウンターカルチャー的劇映画(ロバート・ダウニーSr.『グリーサーズ・パレス』)、フェミニズム的な探求(リジー・ボーデン他)、初期アーティストビデオ(「オーディオビジュアル・フィードバック」という興味深いプログラム)などと並置し、またアンソロジー・フィルムアーカイヴスが復元した作品とそこでの上映プログラミングの再現の双方からアンソロジーの活動を紹介しようとしたことが明らかで、そうした企画の意図や文脈、今日性に文中で十分触れ得なかった点は残念である。
また未見の作家の中でも、ロン・ライスだけでなくデイヴィッド・ブルックス(1944 -69、特に『夜の泉・昼の星』64や『冬 64-66』66)も注目すべき作家だった。マリー・メンケンの作品にTeiji Ito(マヤ・デレンの晩年のパートナー、現代音楽作曲家、1935-82)の音楽が多かったのも初めて気づいた。初見のブラッケージ『23rd Psalm Branch』やマーコポウロス『Twice a Man』をスクリーンで見れたのも幸運だった。もし10年後だったら私はおそらく見ることが叶わなかっただろう。
大半は、16ミリフィルムかデジタル化した素材のDCPによる上映であったが、この会場の上映の鮮明さや音響の良さはこの分野の上映会としては特筆に値するクオリティであった。
映画史の殿堂とも言うべき旧フィルムセンター(国立映画アーカイブ)でこうした実験映画の作品群が連日上映され、そこに想像以上に多くの観客が集まったことは、私のようにフィルムセンターの初期から知る者にとって何より感慨深い出来事であった。同時にこういう場所での上映だからこそ、ケン・ジェイコブス『トム、トム、笛吹きの息子』(グリフィスのカメラマン、ビリー・ビッツァーの1905年同名作品全編の引用・流用)のような作品の上映には新たな意味が付与される気がしたし、映画総体の中で(映画史の中で)アヴァンギャルド映画・実験映画の位置(単純なアウトサイダーにもインサイダーにも収まりきらない独特な位置)やそれらの保存・復元の意味を改めて考えさせられる催しにもなった。



