今日は父を看取ったこと書こう。

 

 

 

誤嚥性肺炎で入院してて

 

食べれなくなってたし

 

ずっと意識もなく

 

病院から

 

「昼間は看護師の人数も多いから大丈夫ですが、夜はご家族の方が病室にいてください」

 

と言われるくらいの状態が


数日間続き…

 

 


ある朝


職場に10時ごろ病院から電話。

 

病院「お父様が血圧が下がっています、病院に来れますか?」

 

わたし「はい、行きます、他の家族も呼んだ方がいいということですか?」

 

病院「そうです」

 

 

ついに来たんだな…


でも、なぜか落ち着いてて、

 

 

ちょうど職場にお掃除に来てた


所長の義母で、

 

わたしがよくおしゃべりしてたおばあちゃんが

 

「こっから早いよ、5、6時間だね」

 

って教えてくれた。

 

 

母は要介護5で


特養でお世話になってて傾眠もあり

 

病院に連れていくことは無理。


 

叔父叔母には連絡したら、

(父は7人兄弟の上から2番目)

 

みんなすぐ来てくれた。

 


わたしの娘もたまたまいて


病院に来れた。


 

みんなでベッドを囲み

 

呼吸するハーハーの音(声?)を聞く。

 

 

おじさん、おばさんがいてくれて


心強かった照れ

 

 

ハーハーの音が大きくなった時に


持ち直したのかなって思ったら

 

看護師さんに


「そうじゃない」と言われ、

 

確実にその時に向かってるんだと


思ったりして…

 

 

だんだんハーハーが、小さくなって

 

苦しそうな感じはなくなってきて

 

ゆっくりとだんだんと


息をしなくなった感じ。

 

「あれ、息してないんじゃない?」

 

「ほんとだ」

 

「あっ、息しだした」

 

を何回か繰り返した後、

 

何分か息していないことがわかった時


ナースコールして。


 

で、看護師さんが来てくれた。

 

(ナースセンターで、モニターとかで見てくれてると思ってたけど、違ったんだなとわかった)

 

 

午後3時過ぎ。

 

(職場のおばあちゃんが言ってた通り、10時から5、6時間後だ)

 

 

 

兄弟に見守られて、旅立てて

 

父親は幸せだったと思うニヤリ

 

 


一番下の弟の叔父は

 

「俺が逝く時は、みんなもう死んどるで、1人で寂しく逝くだな」

 

って言ってた。

 

 

 

父の死は、泣けた。


 

逝っちゃう時も


家に帰ってお布団で寝てる時も


通夜も、葬儀も、


火葬場でお骨ひろう時も。

 

 

 

もともと怒りんぼで


介護始まって

 

前半、怒りまくりで振り回されて


わたしは、心も体も不調になり


大嫌いな時期もあったけど

 

後半、いい人になっちゃって、


ありがとうをみんなに言う人になって


人生卒業していった父。

 

 

認知症になるのが


卒業試験だったのかなニヤリ

 

 

 

わたしも父の介護を卒業できた日。


 

 

あの介護がなかったら


あんなに泣けなかったのかも。

 

 

こんなに、


父親のこと大好きだったんだなって


思えなかったのかも。



と今なら思える照れ