カナリア諸島にて

 

大瀧詠一さんの曲、「カナリア諸島にて」の歌詞に「時はまるで銀紙の海の上で溶けだし」というところがあります。私は今までこの意味がまったく分からず、適当にカラオケで歌っていました。特に「銀紙の海」の部分です。でも、昨日、何気なしに海を散歩していて、ああ、このことを言っているのだと思いました。この曲の作詞家、松本隆さんの詩は難解ですね。

 

その時の写真です。

 

太陽が反射しているところ銀紙みたいですよね。きっと、この写真のようなキラキラ「光る海」のことを指していて、その結果、過去の時間が溶けだして、思い出されているのだと思います。この部分は「夢中で踊る若い輝きが懐かしい」というところにかかっています。つまり光る海から連想し、キラキラとした「恋愛中の過去」を回想しているのだと思います。

 

上の写真の景色で思い出しましたが、歌詞では防波堤という不思議な言葉が出てきます。この部分はさらに難解です。歌詞で言うと「防波堤の縁取りに流れてきた心は終着の駅に似てふと言葉さえ失くした」の部分です。丸っきりわかりませんでした。


おそらくですが、防波堤は外洋から守るための内側の領域、つまり、自分の内面を指し、流れてきた心は、外の世界から来た「恋愛感情」のことだと思います。すると「終着の駅に似てふと言葉さえ失くした」の部分は、もうこれ以上先の駅がない、どうしたらいいか分からない状態になったということだと思います。つまり結局、戸惑って別れてしまったということを暗喩しているのだと思います。

 

この曲では、歌の中でカナリアン・アイランドと発音しながら、タイトルは、「カナリア諸島にて」となっています。このことも不思議でした。


歌詞をまざまざと眺めてみると、そうです、本人は、恋愛して別れた彼女に手紙を送っているのです。「海に向いたテラスでペンだけ滑らす」と歌っているところから分かります。つまり、「カナリア諸島にて」と言っているのは、この手紙の最後の一文、今カナリア諸島から手紙をおくっているよ!というところから来ています。

 

つまり、分かれてしまった本人の方は、日本から遠く離れた海外のカナリア諸島で、プラプラと暮らしている。「もうあなたの表情の輪郭も薄れて、ぼくはぼくの岸辺で生きていくだけ、それだけ」と自身の心情を歌っています。そして、ここは、カナリア諸島の現地ですから、現地のニュアンスを出すため、カナリアン・アイランドだと歌っている(発音している)のだと思います。

 

 

こちらは、昨日の湘南の海の様子です。


歌詞を載せておきます。

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薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて
海に向いたテラスでペンだけ滑らす。夏の影が砂浜を急ぎ足に横切ると生きる事も爽やかに視えてくるから不思議だ。カナリア・アイランドカナリア・アイランド風も動かない

時はまるで銀紙の海の上で溶け出し。ぼくは自分が誰かも忘れてしまうよ。防波堤の縁取りに流れてきた心は、終着の駅に似てふと言葉さえ失くした。カナリア・アイランド、カナリア・アイランド風も動かない

あの焦げだした夏に酔いしれ夢中で踊る若いかがやきが懐かしい。もうあなたの表情の輪郭もうすれて。ぼくはぼくの岸辺で生きて行くだけ…それだけ…カナリア・アイランド、カナリア・アイランド、風も動かない
カナリア・アイランド
カナリア・アイランド


多分、そういうことでは、ないでしょうか。


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