これまでもたびたび盛り上がったライブハウスのドリンク問題がまた最近ツイッターで浮上した。そこで3年以上前に書いたブログをぶつけたら、イイネもたくさん来れば反対意見もいっぱい来た。
発端はライブハウス経営者の、「飲み物を持ち込む人を撲滅したい」というツイートで、私のブログはそれに真っ向反対するもの、だからそのライブハウス経営者のツイッターをフォローしてる人はライブハウス経営者を擁護する姿勢に出る、だから真っ向反対する私の意見は反対する人のほうが多かった。まあそういうことだったんだろう。
そして、私に向けられたものに限らず、このライブハウス経営者に反対する人は、飲食店だといいながらその飲食設備のショボさや接客の悪さ、そもそも営業許可を簡単に取るために便宜上飲食店にしてるだけだろ、ライブハウスは音楽で商売すべきもので発想が貧困などなど、非常に具体的で論理的なものが多かった。一方ライブハウス経営者の発言を支持する人は「ルールは守りましょう」ほぼこれだけで、反対側の意見に具体的に反論する人はほぼなし、そしてルールを守れない人は来なくていい、出入り禁止にすればいいという意見が非常に多かったこと。ただ文面から想像できるのが、支持側の人が社会のルールにきちんと従う遵法精神の高い人ばかりとはどうしても思えないこと。さてこれは?
ここで見えてきたのが日本人の、特にヤンキーにとってのルールとは、仲間とはということである。ルールとは組織が存続するための決まりごと、そしてその組織とは国家でも世界でもなく、仲間内だということである。そう国の法律ではなく仲間内の不文律こそがルールなのである。そしてそれを守らない者は仲間ではない。だから「来なくていい」「出入り禁止」という発想に結びつく。実に視野が狭い。
支持側の人にとってこのライブハウス経営者は仲間、そして同調意見を出していたイベンターやアイドルの運営も仲間、その意見に異を唱える人は仲間ではないのである。
一方、反対側の人の目線は「店と客」なのではないだろうか。だから店の商売のやり方が気に入らなければ苦情を言うのは消費者としてありなわけで、経営者は消費者の意見は可能な限り汲み取り、改善できるものは改善すべきという発想になる。
うん、これでは噛み合うはずはないな。永遠に平行線のままだ。
このあとヤフーニュースの車の運転の話題でも「ルールは守れ」という書き込みをたくさん目にした。そして文面から想像する限り、そう言ってる人は制限速度は必ず守り、駐車禁止のところに絶対駐車はしないなんてわけはない。やっぱりそういうことだ。