まさに、信じるものは救われる | 地球改変実践時期突入につき「意識変革」ブログ

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京都:精神世界・神智学研究家「ミヤノリト∞」

みなさま、こんにちは。

京都、スピリチュアル・セラピスト、ミヤノリト∞です

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これからの時代は、「キリストの福音&聖書」がとても重要になってくると感じ、

少し前から聖書を研究していることをお話ししておりました。

(まだまだ勉強不足ですが、私ができることをお伝え致します)

・・・まさに、ミヤノリト第二章が始まる(笑)

 

 

数年前のことでした。

その方は、自己否定感がものすごく、幼少の生まれの複雑さも相成って、

長年様々なトラブルをご自分で引き起こし、苦しんでおられました。

お話しを聞くと、その苦しみの根本的思想は、

ご自分の「罪の重さ」でした。

 

他人を悪く思ってしまう自分

一般で悪いと言われていることを思ってしまう自分

そんなことを思ってしまうご自分が、嫌で嫌で仕方なく、

そんなことを思ってしまう自分はなんて悪い人間なんだろう・・・と、

長年苦しんでおられたのです。

 

この状況に対して、私は何とお伝えしたのかが思い出せないのですが、

今思うと、この方って、本当の聖人なのではないか・・・と感じるのです。

一般の方は、そのようには考えない。

 

自分の考えを、さも正しいかのようにはじめから信じ込み、

その主義主張をすることに没頭して、他人とのいざこざを起こしてしまい、

それを反省もせずに同じことを繰り返しているのだから・・・。

そして、たまに大きな病気や苦難を神様からいただいたときに、

やっと氣づくか氣づかないか。

 

今だったら、間違いなくその方にお伝えしたい聖書の項目があります。

 

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では、どうなのでしょうか、わたしたちには優れた点があるのでしょうか。

全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、

罪の下にあるのです。

次のように書いてあるとおりです。

「正しい者はいない。一人もいない。」

 

ローマの信徒への手紙 3章9、10

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そうなのです。人間は、罪をおかしてしまう生き物なのだ。

しかし、その罪に対して苦しむことはなく、

全人類の罪を背負ってくださったのはイエスの十字架があってのこと。

あの十字架によって私たちは救われた。

ですので、新約聖書以後の私たちは、宇宙神と、

神との橋渡しをしてくださるイエスを信じるだけで良いのです。

 

しかし、私たちは罪をおかしてしまうものとして、そのままではいけない。

自分で努力もすることも大切。

しかし、努力に限ってしまうのもいけない。

なぜなら、「聖なる行いは、必ずしもずっとし続けることは無理」だからである。

完璧でないがゆえに、

「一つの欠陥を起こしてしまったら、また自分の罪に苦しむことになるから」

また、「努力をしたことに対してあぐら」をかいて自分を誇張してしまうから。

 

では、どうしたらいいのか?

それは、神を信じるしかない・・・ということ。

 

やっぱりこの世は、神が操っている。

私はこの十年間の間、何かが私を上から引っ張って、

操り人形のごとく、こっちの場所へ行かされ、あっちの場所へ行かされ、

そして、運命という仮想の元、必要な方々と出会い、

縁によって使命を果たさせていただいておりました。

 

その流れは、まさに「神」しか起こせない奇跡の連続で、

私の命を存分に生かしてくださった。

 

それに抵抗しない・・・

というのが「宇宙の流れに乗る」ということであり、

「神を味方に付ける」ということである。

だから、「我」を思いっきり出してしまうと、「神を信じず、自分で操作」することになる。

しかし、この「我」の放棄は、本当に放棄することではなく、

自分の中で「これをする!」ということを決め、そのプロセスは氣にせず、

後は余計なことを考えないで、目の前のことをするだけ。

 

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事実、あなたがたは、恵により、信仰によって救われました。

このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。

行いによるのではありません。それは、誰も誇ることがないためなのです。

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、

しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、

キリスト・イエスにおいて造られたからです。

わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

 

エフィソの信徒への手紙 2章8~10

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