大和魂の呪縛に囚われていないだろうか? | 京都∞あなたの本質を目覚めさせ、魂を光輝かせるスピリチュアルセッション・講座∞

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京都:スピリチュアル・セラピスト・ヒーラー「ミヤノリト∞」

みなさま、こんにちは。

京都、スピリチュアル・セラピスト、ミヤノリト∞です☆

一般によく言われていること・・・

日本人は勤勉だ

日本人は礼儀正しい

日本人は真面目だ

 

本当にそうは思うものの、私にはこの言葉には疑問点を感じるのです。

「言われて強制されている感があるから・・・」

 

確かに、日本人の心の中には「真・義・仁」などの誠を求める気持ちが自然にあって、

人とのいざこざをやんわりとする「和」を生じることができる。

会社等の国際会議などの席に「日本人」が一人いると、

その場を治める力があることは海外でよく知られています。

 

しかし、一般のメディアで言われている「このこと」には非常に違和感がある。

「日本人の特徴を言って、日本人の力をおさえられている」としか思えないのです。

このように言うことで、大人しくさせられてる感がある。

 

最近は、時代劇がテレビで本当に放送されなくなって、

「成敗仕る(せいばいつかまつる)!」などの言葉が使われなくなってしまいました。

それは、正しいことを律するということ。

 

今は、心の中で正しくないと感じていても、

「日本人は礼儀正しい」「日本人は真面目だ」と言われて、

その言葉に踊らされ、「正しくない」と感じながらも、

「日本人は・・・」の呪縛に囚われている感がある。

 

正しいことを律することは、「誠」を求める気持ちだから、

声を大にして言っても良いと感じる。

それは、決して「お行儀の悪い」ことではない。

 

 

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