みなさま、こんにちは。
京都、スピリチュアル・セラピスト・ミヤノリト∞です☆
「カルマ」=「こだわり」
ということですが、
ご相談の中で、なかなか悩みの状態から抜け出ることができない方ほど、
「こだわり」が強いのです。
「こうしなければならない!」
「こうしたい!(という気持ちが人一倍強い)」
もちろん、願望として、それに向かって努力したり、切磋琢磨することは、
人間として成長になりますし、必要なことです。
しかし、「結果」にこだわりすぎて、
なかなかその結果を引き寄せることができない場合は、執着となります。
これは、「自分の描くそのままの結果」ということですが、
例えば、「お花屋さんを開く」ことを目標にしていて、
お花の勉強をしていたら、ご縁がつながり、いつの間にか「華道」の方へ進んでいた。
しかし、自分の目標の「お花屋さん」になかなかたどり着けない。
「なんとしても・・・・!」
色々思考錯誤するも、そういう関係の人と繋がらなかったり、
店舗も確保することができない・・・
「なんとしても・・・!」
という場合は、執着が発生してしまって、そこで空回りしてしまう。
天から示された道は、「華道」なのに、お花屋さんにこだわっているからうまくいかない。
自分が向かおうとして、なかなか進めない状況になってしまうということは、
その道ではなく、違う道に進む方が、特質に合っているということで、
「魂の目的」がそこにある。
ということなのです。
ですから、自分の思う通りに進んでいなかったとしても、
「なぜかその流れになってしまった」という時は、
神様から示された道ということなのですから。
普通は、何度か挑戦をして、ダメだったらあきらめてしまうところですが、
でも、「なんとしても成し遂げる!!!」と、
どうしても思い、行動が止まらない場合は、
それこそ「生みの苦しみ」
きっと、あきらめない限り、何かを成し遂げることが出来るでしょう。
私たちは「自由意志」のもと、
生まれる前に決めていた「魂の目的」と、
生きている時に、それを変える力もある。
人の思いはそれだけ強力に空間では働く。
だから執着にも成り得、
それにはまり過ぎたら、悩みの種になる。
「悩みの種」は、結局「こだわり」なのだから。
「執着」と「信念」
表裏一体ですね・・・。