懐が小さいと「愛」を繋ぐことができない | 地球改変実践時期突入につき「意識変革」ブログ

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京都:精神世界・神智学研究家「ミヤノリト∞」

みなさま、こんにちは。

京都、スピリチュアル・セラピスト・ミヤノリト∞です☆

 

 

最近、知り合い同士のいざこざを見聞きしてしまったことがあって、

「手伝ってあげたのに~なんやその態度!」

「貸してあげたのに~ほんまは嫌やったわ!」

 

うーん、よくあることですね。

なぜ、人はこうなってしまうのか???

 

つまりは、純粋な思いで、

「手伝う」

「貸す」

をしていないから~。

 

裏に何かの思いがある。

例えば、「それを貸して自分が優位に立ちたい」

「見返りを求めている」

「自分の存在場所を求めている」

「自分の思う通りに人が動くのを期待している」

「感謝を求めたい」

などなど、様々な穢れが生じているから。

 

・・・・期待に外れてしまうと、こういう言葉が出ることになる。

 

うーん、小さいね~。

私たちは「愛」の塊だ!!!

思い出してほしい☆

宇宙の愛の塊から来た存在!

そんな小さな愛は美しくないよ・・・。

愛は懐大きいよ~ドキドキ

大盤振る舞いね~ラブラブ

 

純粋の愛で、何かをするのなら、

「その人が喜ぶ顔がみたいから・・・」だけだと思う。

自分が何かをして、その人が幸せであればそれでいい。

それが「愛」の美しさ。

 

それから、人は知らないところで他の人の世話にもなっている。

 

その人だって、「手伝ってやった!」と言い放った人から、

実はたくさんのものを頂いている。

自分のところに来てくれて、声をかけてくれる「愛」だったり。

おすそ分けを持ってきてくれたり、

何かの情報を教えてもらったり、

もしかして、家やお庭のお掃除を手伝ってもらっているかもしれないし、

人と人を自分のところにつなげてくれたりもしているかもしれない。

 

・・・だから、本当はそんなこと、とても言えない。

だって、お互い様だもの。

 

でも、そんな風に怒号してしまう人の心理もわかる。

・・・結局は、自分が満たされていないから。

だから、「親切」に見えることは、本当は「偽善」。

 

偽善の愛は、周囲の人々に違和感をもたらす。

そして、その人からみんな離れてしまう。

せっかく、何かでつなぎ「愛」を表現できるきっかけができたのに・・・。

とても、残念・・・、悲しい結末。

そして、また孤独になる。

 

でも、その人が望んだ「役割」なのかもしれない。

 

 

 

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