今朝、こんな記事を更新しました。
先の記事では次のように書きました。
Fight(戦う)
Flight(逃げる)
Freeze(茫然と立ち尽くす)
Flop(迎合してしまう)
Friendly(民主的な問題解決)
わたしはこの「Friendly」を
斉藤由貴の『悲しみよこんにちは』
のイメージで捉えていました。
〽︎平気
涙が乾いた跡には
涙が乾いた跡には
夢への扉があるの
悩んでちゃいけない
そうよ
優しく友達を
迎えるように
迎えるように
微笑(わら)うわ
…きっと 約束よ
不意に 悲しみは
やってくるけど
やってくるけど
仲良くなってみせるわ
…だって 約束よ
『めぞん一刻』の響子さんの
喪失体験を乗り越える姿をイメージして
作った歌詞なんでしょうけど
わたしは今もバッチリ歌えますね
とはいえ、記事を書いている時に
うっすら違和感があったんですよね。
今朝、偶然立ち寄ったコンビニで
ラスト1冊になっていた週刊文春を買い、
元少年隊・錦織一清さんの
インタビューを読んでみました。
実は、私、十代の頃は毎年、
少年隊のミュージカル「PLAYZONE」に
通っておりまして…
これも歌えます
毎年のミュージカル観覧後には
少年隊以外の男は
視界に入れたくない
などとほざき、当時の彼氏を
よく拗ねさせたものでした
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ちなみに
東山紀之俳優人生
最後のミュージカルも
観に行きました。
それがこの見出しですよ。
こんな悲しい
見出しのインタビュー
ほかにあるか。
上記画像のわたしの手は
わなわなと震えていると
想像してご覧いただきたい。
あと、ニッキはビジュアルを
つかこうへいに寄せすぎだ
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さて、記事を読んで
改めて思いましたのは
人間関係による
トラウマを考えるときに
「Friend(友人)」という言葉は
やはり適切ではない、
ということです。
「Friend」はどうやっても
対等な関係を連想させます。
対等ではないのです。
対等ではない関係の下に
起こった出来事なのです。
改めてトラウマ反応について
調べていると、別のサイトで
「Fawn(へつらう)」という概念が
入っているのを見つけました。
ほかに検索してみると
FawnとFlopを並列している
サイトもありました。
人間関係におけるトラウマには
しばしば怒りや報復感情が伴います。
それらは一生続くものではありませんが
支援者が民主的な問題解決を提案する際、
まるで加害者の肩を持っているように
捉えられる可能性もあると感じます。
人間関係によるトラウマの支援に
中立の立場ってありえないですから。
とはいえ、カウンセリング初学者が
こんな風に文脈によって判断するのは
ほぼ不可能だろうとは思います。
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