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​不登校支援を始めて25年
5歳の時から
やってます
パー
(ここ、笑うとこです)

星プロの不登校児とは?




続きです。






そんなわけで
通信講座の由緒正しい
カウンセリング教材を
眺めておりますと
 
 

まだわたしが駆け出しの頃
なんじゃそりゃ意味わからん
と思ったことがいっぱいあったのを
走馬灯のように思い出します。
 

                               わく
そのひとつが「枠」










学術的に妥当な言い回しをすれば
「治療構造」に相当すると思います。



面接時間や相談室のしつらえは勿論、
内的準拠枠も全部ひっくるめた「枠」。



用例としては



事例の勉強会とかでフロアから
「枠が守られていない」(キリッ)
みたいなことを言われるのです。



どちらかというと
否定的なニュアンスで
使われることのほうが
多かったんではなかろうか。
 
 

90年代は「枠が」「枠が」と
言いたがる人がいっぱいいて、
わたしはひそかに



ワクワクさん



と名づけて胡散臭がっていました。
 

 
ワクワク言うてる人は
いかにもいいこと言ってる風な
顔つきをするんですよ。



でも、言ってること
ちっとも具体的じゃねえな
と、わたしは思ってたのです。



類語として「寄り添う」
にも同じ空気を感じます。



ええことしてる風やけど
具体的に何やってるのか
ようわからんという意味で。

 
 
しかもみんなありがたがって
手元のレジュメとかに赤字で
 枠 とか書いて
わざわざ丸で囲んだりするわけ。



しかも渾身の謎ブレス付き


フーーー て聞こえて来たりする



あー いかにもこんな感じー






それはなんの勉強なん?
なんの役に立つん?
ますます意味わからん!



と思ってました。あはは。

 

構造とか枠を
考えるというのは
 
 

座席の位置とか照明とか
飾られている季節の花とか
壁にかかっている抽象画とか
(きっとラッセンとか笹倉鉄平ではない)




クッション置いてるな






周辺の環境
ご相談者様との関係性に
影響を及ぼしますよ
 
 

と考えることじゃないのかなー。



さあ、みんなで歌おうカラオケ