自分の体験だけで臨むのは
わたしはとても危険なことだと
常々考えているという話を
↑ ↑ ↑
この記事に書いたのですが、
Facebookで共有したところ
男性のFBお友達に
好評のようでした。
特に経営者
わたしのFacebook、
コメント欄が半端なく
おじさんの釣り堀
なのですが
(毎日入れ食い)
予想してなかった反応で
大変興味深かったです。
さて、がん患者さんの間で
「寄り添いハラスメント」
というパワーワードが爆誕
したことをご存じですか。
がん経験を新たな価値に変える
「ダカラコソクリエイト」の
谷島雄一郎さんの造語です。
このAERAの記事が
抜群に素晴らしいので
皆さまにもぜひ
お読みいただきたい。
記事に登場する轟浩美さんの
ニンジンニュースのお話なんて
そんなことしないと宣言できる女性
いないんじゃないでしょうか。
記事中の「2月のイベント」は
わたしも受講いたしました。
2021年のことでした。
寄り添いハラスメントの
お話を聞いて思ったのは
がん患者さんに限らないぞと。
不登校も同じじゃん
不登校児の場合は
不登校になる前から
周囲の大人の願望を
叶えるためにすべてを
捧げて来た歴史があります。
そのルートから降りるためには
不登校にでもなるしかないのです。
本人にとっては
猛スピードで走る
ミニ四駆みたいな
感じかなあ。
周囲の大人はそれまで
不登校児に己が願望を
叶えて来てもらったとは
露ほども考えていないので
不安で一杯になります。
学校に行かないのは事実。
その「事実」に対して
イライラする、腹が立つのは
周囲の大人の問題なんですよね。
もし過去の不幸が
出発点だとしても
わたしは〇〇の経験がある
だから〇〇の人に寄り添える
と考えるのはいったん
踏み止まったほうがいいです。
それはたぶん
リッツパーティー
まっしぐらです
なんかもっと
シンプルに
あの頃の
わたしのために
今、誰かに寄り添う
仕事がしたい
だけでよさそうな
気がしますけどね。
自分がやりたいことの
正当性を主張するために
大義だとか名分だとか
壮大な理屈をこねるから
おかしくなるのでは…
こねた理屈は
わたしの推しの俳優
スタンリー・トゥッチに
オーブンで焼いてもらいましょう。
(おじさんに戻る)
ちなみにこちらの『Taste』は
舌がんの闘病記だそうです。