或る日の夕方の写真です

 

去年の今頃、私はある計画を立てていました。

 

 

仕事を辞めて漸く自由の身となった!という喜びにあふれ

自分の好きな事を仕事にして行くための計画を練っていたのです。

 

 

 

その気持ちがブレないようにと周囲にも吹聴して

後戻りが出来ない体制も整えて、あとは前に進んでいくのみ!という感じでした。

 

 

 

先ずは、大阪に行こう

興味がある事を追求してみようと思ったのです。

 

でも、いざ進もうとすると

あれよあれよという間に、違う方向に流されて行きました。

 

 

誰かにお給料を貰う事はもう無いだろう・・・と思っていたのに

今、再び勤め人となりお給料を貰う羽目になってしまいました。

 

 

こんなはずじゃなかった・・・

 

 

そして、流れに流されたその先には

私の最大の弱点を克服する為の目に見えない”カリキュラム”が待ち受けていたのでした。

 

 

私の弱点とは

「大勢の人前に立ち、話をする事」です。

 

その事については、絶対に阻止したい事であり、逃げたい事でもありました。

 

 

「絶対に無理ビックリマーク」と頑なに、この年齢になるまでずっと逃げ続けていた案件です。

それが私の仕事になるなんて・・・ドクロ

 

 

そうです。私は大勢の前で話をするという仕事を引き受けてしまったのです。

 

しかし、あの時・・・仕事の説明を受けたシーンを何度振り返ってみても

”とても楽しい仕事” ”話をする人をサポートする仕事”という説明だったはずです。

 

 

仕事を始めた当初の日曜の夕方には”サザエさん症候群”になり

「明日行きたくないな~」と思ったりもしました。

最初は「まんまと騙された」という恨めしい気持ちでいっぱいでしたが

有る事に気が付いたのです。

 

 

私は数年前、ある方から

「RICOさんはこれから「命」に係わる仕事をして行きます。

その仕事はRICOさんが覚悟を決めないと降りて来ません。」

と言われた事がありました。

 

覚悟をしたのか、しないのか自分でも定かではありませんが

今、私が大勢の前で話してる内容は「命」についてなのです。

 

 

公共の施設に出向いて行き、大勢の人前に立ち、お話しをする・・・

昨年の私には考えられない事です。

 

 

 

休みの日には、出向く施設をナビを使って調べる事が日課となっていました。

 

今日も、ある場所の住所をネットで検索し、ナビに入力して出掛けようとしていました。

すると、この番地は存在しませんという表示が出たのです。

 

…もしかしたら私のナビ情報は古いのかも知れないと思いながらも

近くに行けば、施設の看板なりを見つける事が出来るだろうという安易な考えで

その近辺を目指して出掛けたのでした。


本当は夫も一緒に行く予定でした。

車を運転する事が下手くそな私のサポート役として付いて来るのが日課となっていたのです。


でも、仕事が立て込んでいる為(時間をずらしてくれれば付いて行けると言われましたが)一緒に行く事は出来ませんでした。

「1人で大丈夫よ🎉」

 

もし、夫が一緒に行っていたら…

慎重な夫の事です。

"この番地は存在しません"という表示が出たあたりで不審に思うはず

何度も調べなおし、このまま発車する事はしなかったはずです。



ナビの誘導は車が一台やっと通れる位の道ばかりで山道へ続いて行きそうな気配でした。

こんな寂しい場所に公共の施設があるとは思えない・・・

 

 

そして「間もなくゴールです。」というアナウンスで止まった先を見渡して

私は、鳥肌が立ちました。

 

そこには由緒正しそうな?(笑)

神社があったのです。

 

ここがゴールってどういう事?

 

どうして、こんな寂しい所に由緒正しい神社があるんだろう?

「八幡神社」だって・・・

道路から奥をのぞき込むと吸い込まれる何かを感じました。

この風景は「大日堂」に似てる・・・

 

 

何故か「夫を連れて来なければ」と思った私は

「今度、ゆっくり伺いますね」と声を掛けてその神社をあとにしました。

 

 

それはそうと、肝心の「施設」はどこにあるのだろう。

折角ここまで来たんだもの見つけて帰りたいビックリマークという気持になり

思わず、犬の散歩で歩いていた若者に声を掛けて

施設の場所を教えてもらいました。

 

 

その施設は現在地から1キロ程離れた場所にありました。

 

 

この出来事を夫に話すと夫はこう言いました。

 

「最近、RICOさんの周りおかしくなってる。素人目にもわかるよ。

この前のお婆さんだってそうだ。最近、色んな事が集中しすぎだろう!?

 

 

そうなのです。

鈍感な夫も「おかしい」と感じるほど私の身の回りは

偶然とは思えない事のオンパレードなのです。

 

 

「大勢の人前でお話しをする」事が出来なかった私です。

それは、考えただけでも身震いして涙が出てきそうな位に大嫌いな事です。

でも、克服できそうもない最大級の私の弱点だと思っていたこの案件は

不思議な事に2週間ほどで克服する事が出来ました。


私は、有る事に気が付いたのです。

自分の中にスイッチがあってそれが自動でオンオフの切り替えが出来る様なのです。

 

例えば、建物の中に入る時、出る時

人前に出る時、下がる時

憑依するとはこういう事では無いのかな~とぼんやり考えています。

 

本当の私とは…

自分でも分からなくなって来ています。


そもそも、本当の自分は存在しないのではないのかしら

 

最近、そんな事ばかり考えています。

 

 

 

この先、何が待っているのだろう・・・

私は良い方向へ向かっているのだろうか?

 

そうであって欲しいと願っています。ちゅー