私は子供の頃から、父の事が好きではありませんでした。
私の人生に多大なる影響を及ぼしたのは「父親だ」
とまで思っていました。
父は、自分の気持ちに素直な人です。
いわゆる、「パワハラ」「モラハラ」を字で行く様な人。
子供の頃「父がいない生活」を想像してみたりもしました。
そして何度か 父が居なくなるという夢を見た事もありますが
何故か決まって、悲しくて夢の中で号泣してるんですよ、私。![]()
そして、起きてみると 涙で枕がぬれているという
裏腹な自分の感情に子供ながらに驚いたものです。
そんな父も老いました。
実家が職場の近くなので、毎日顔を合わせるのですが
随分、穏やかになりました。
「おはよう」 「おかえり」 「お疲れさん」
私を見つけると、満面の笑みで、手を振るのです。
一緒に暮らしていた頃は、こんなあいさつさえも
なかった様な気がします。
物忘れがひどくなり外出先で荷物をなくしてしまう父の為に
先日、ショルダータイプのバッグをプレゼントしました。
「わ~これくれるの
凄いね~革だね
有難う」
と満面の笑みで喜んでました。
そして、私が実家に行く度に
「これ凄くいいね。凄くいい
」とバックを撫でながら言うのです。
そんなに喜ばれる事かな?
ふと、これまで「父の日」「敬老の日」「誕生日」
これといった物をプレゼントをしてこなかった事に気が付きました。
最近、漸くこの年になって
沢山の気付きがありました。
これまで敵対関係にあったと思っていた父親ですが
実はわだかまりがあったのは私の方だけで
父は父の人生を好きなように生きただけ、なのではないかという事。
親(大人)だと思っていた父は、大人になり切れなかった子供で・・・
その子供(父)が高度成長期をがむしゃらに生きるという事は
かなり、しんどい事だったのではなかったかという事。
孫の誕生から成長にかけて、不器用ながらも精一杯愛情をかけていた姿は
まぎれもなく「私の子供達の祖父」の姿だったという事。
私がこれまで父に対してとってきた反抗的な態度を
ネガティブなものとして捉えておらず、私の良い部分の記憶しか
残していないという事。
父の身の回りの物は、数十年前の古い物ばかりで
それを補修しながら、大切に使い続けているという事を・・・
今頃ですが、父が生きてる間に気付く事が出来て良かった。
父は「生きづらい人」の対極にいる人ですが
「嬉しい」という感情はあまり多くはなかったのではないかと思ってます。
父の人生の残された時間を数えた時
父に「嬉しい」記憶を残してあげる事は私の役目でもあるのかな
と思い始めている所です。

